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底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

ハラスメントを受けた時の対策 ~私が実践したことをまじえて~

ハラスメントの話

セクハラであれパワハラであれ、ハラスメントを受けた時、ほとんどの人が最初にこう考えるだろう。

「私が今受けているこの事は、ハラスメントに該当するのだろうか?」

結論から先に書くが、「あなたが嫌だと思ったらハラスメント」だ。「デブ」と言われただけでも、「男のくせに」と言われただけでも、壁ドンされただけでも、あなたが苦しいと感じたのであれば、ハラスメントだ。声を上げていい。

「そんなしょうもないことがハラスメント?」と言われても、怯んではいけない。自分自身が辛いと感じた気持ちを最優先して、動いてほしい。

「ハラスメントです」と声を上げることで、周りは大きくざわめくだろう。同情の声や支援を受けられることもあるが、同時に非難も浴びることもある。こんなことはあってはならないと思うのだが、実際にこうしたことが多々ある。

ハラスメントを受けた側の「あら」を探し、「実際にあいつデブだよね」「確かにあの人って女々しいよね」「あの子の方が先に迫っていたんじゃない?」そんな風に言われて立場を追いやられることも珍しい話ではない。

そうなることを想像して、なかなか声を上げられないという人は多いだろう。

こうした事態を回避するために、まず初めに「会社に文句を言う」のではなく、「法テラス」や「労働基準監督署」などの公的な機関へ相談することをおすすめしたい。

彼らは個人の意見ではなく、法律や公的なマナー、実際の民事裁判の判決などに基づいて答えてくれる。「私だってこれだけ我慢してるんだけど」なんてお門違いな説教を受けることはない。

ちなみに、メール相談ではまともに答えてもらえないこともあるので、電話、もしくは直接訪ねての相談がいい。しっかりと話を聞いてもらえるだろう。

裁判をするとなると、とても長い年月が必要となる。何年もの間、裁判のことを考えなければいけない。それが辛いという人も多くいる。

なので、こうした機関に相談した結果を会社に持ち込み、和解するというのも解決手段の1つだろう。

和解できなかった場合のことも考えて、まずは信頼できる一人に打ち明け、少しずつ話を広げていくといいだろう。

「信頼できる人が一人もいません」なんて状態なら、そんな会社は辞めた方がいい。そこにしがみつきたいのであれば、それもひとつの人生だし止めはしないけれど。

このままハラスメントを受け続けるか、ただ会社を辞めて全てを終わらせるか、裁判で戦うか、どの選択がより良い未来に繋がるかを自分で考えて、自分で決める。できるだけ後悔しないように。

法テラスや労働基準監督署といった機関を利用するのに、もちろんお金はかからない。もし民事裁判という話になったとしても、法テラスは無利子で裁判費用を貸してくれる。経済状況によって変わるようだが、月々5000円程度から返済可能だ。信用情報に傷もつかない。弁護士も紹介してくれる。

勝訴すれば、裁判費用は全額敗訴側の支払いになる。確実に勝訴できるよう、ハラスメントだと思ったことはどんな媒体でも構わないから、全て記録することをおすすめしたい。

私はセクハラを刑事と民事で、パワハラを民事で裁判することになった。

私が裁判した時は、mixiの日記すら証拠として採用された。その時のmixiには日記の日時変更をする機能等がなく(今はやっていないのでどうなのか知らないが)、その上、運良く知り合いがコメントを残してくれていた。そのため、「その日に投稿した」ということが証明され、証拠として採用された。

投稿日時変更ができるブログシステム等の場合、証拠として弱くなってしまうが、書き残さないよりはましだ。日付変更ができないコメントを自分で付けておくのも1つの手段だ。

ノートなどに書き残すのが一番らしいが、心が疲れ切っている時は手書きで長文を書くことが辛いと思う。

心療内科などでカウンセリングを受ければ、そのカルテも証拠となる。私もカルテを証拠資料として提出した。精神的被害を被った証拠として病名が書かれた診断書も提出した。

何かを残しておくということは、強い証拠となる。

自分を信じ、証拠を残し、公的機関に相談し、進路を決める。こうして少しでも自分が望んだ道へと進んでいくことが、辛い気持ちを救う唯一の方法なのではないだろうか。

なぜ突然こんなことを書きだしたのかというと、ハラスメントの事を書こうと思った時、うまく自分が特定されないように話を綴るのがすぐには難しいと感じた。

なので、「今」ハラスメントで困っている人に向けて、ハラスメント解決の現実的な手法を体験談を交えて伝えることができればと考えていた。

そんな時に、前回の記事にていただいたコメントにあった「法を逸脱していなければ悪ではないのではないか?」という言葉が、私の中で非常に突き刺さった。ハラスメントとは関係のない話についてのコメントであったが、私の中では強くハラスメントの記憶が想起された。

この世の中、悪と定義づけられてない悪が多いと私は思っている。こうしたハラスメントもそのうちのひとつだ。

しかし、悪として定義づけられていない悪は、全ての人の中で悪として扱われるわけではない。

「そのぐらい当たり前だよ」なんて言葉が、世界で飛び交っている。どれだけ辛い目に遭わされようとも。「我慢しない、抵抗しないお前が悪い」と言われることもある。

当たり前とは何だろうか。毎日毎日辛い気持ちを抱えて我慢し続けなければいけないことが当たり前なのだろうか。そんな当たり前が当たり前の世界なんて、私は欲しくない。

辛いことは辛い。人を苦しめる者は悪だ。「悪」だというと大袈裟に聞こえるかもしれないが、それは悪なのだ。どんなにしょうもない小さなことであっても、本人が悪だと認識していないことであっても、それが人を追い詰め殺すことだってある。悪が悪を呼び、ハラスメントが連鎖していくこともある。どこかで止めなければいけない。

だから私は、法で裁かれない悪も在り、それを受けた時にそれを悪だとして声を上げ、戦うことは、当たり前のことだと思っている。

こうした当たり前を得ることができた私の世界は、良き友人たちであふれている。当たり前を当たり前として受け止めることだけが正しいことではない。前例がなくとも、六法全書に書いていなくとも、声を上げることは自分のためにとても大切なことだ。

私はとても良い弁護士に当たることができ、たくさんのアドバイスをいただいた。

中でも特に覚えているのは、

「意見陳述の際、どんなに相手に痛いところを突かれても怯まないで。自分は間違っていないと思い続けて」

というようなことだ。私はこの言葉のおかげで、相手の弁護士を言い負かすことができた。あの弁護士の悔しそうな顔は、一生忘れないだろう。そして、その後に私を褒めてくれた、私側の弁護士の優しい顔も、一生忘れないだろう。

そして、今苦しんでいる人にもできることなら伝えたい。自分は間違っていないと思い続けてほしい。自分を信じて、というと、J-POPのように聞こえてしまうけれど。

きっと、今でも苦しんでいる人は多いんだろう。私がそういった人たちを救う一助になれたらと、思う。

ちょっと高級料理風のタイトルにしたのは、精いっぱいのユーモアだ。