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底辺ネットライターが思うこと

私が思うことを主観的にひたすら綴る

しょうもない悩みは毎日小さく心を傷付けていつしか大きな穴を空ける

ブラックアフィリエイトの話

暑さが厳しくなってきた。

我が家ではペットの体調管理のために、温湿度計を室内に付けている。そこに表示されている温度が、ここ数週間の間、28度前後を推移していた。窓を開けていれば風のおかげでどうにかなる程度の暑さだった。幸い、私の家はマンションの高層階にあたり、ベランダはどう考えてもどう足掻いても空き巣なんかが入ってこれないようになっている。そして、盗む物なんて何もありませんよと言わんばかりの外観をしているので、毎年、安心して窓を開け放っている。

昨日は昼から出かけていた。出かける前に温度を確認した時は28度程度だったので、窓を開けただけで家を出た。

が、昨夜、帰宅して見た時、室内温度は30度を超えていた。部屋の中で、水も食料もあり、熱中症になるような環境下ではなかったが、ペットもべっとりとした暑さをそのかわいらしい体で表してくれていた。そんな姿すらかわいくて仕方なくて抱きしめたい気持ちにもなったが、それよりも申し訳ない気持ちが勝ってしまい、私は大慌てでエアコンのスイッチを入れた。少し経つと、涼しそうな顔になる。ほっとする。ごめんねと謝りながら、好物をあげると元気よく頬張っていた。部屋の間取りや風通りの良さでかなり室内の暑さは変化する上に、今年は少し気候の変化がわかりにくい。けれど、そろそろ本格的に冷房が必須の季節になってきたように感じる。

何のペットを飼っているかと言うと、私が特定されてしまう材料になり得るので話さないでおく。

ところで、私はこうしてブログを始めて、これまで接して来なかった人たちと接するようになった。ネット上だけの話ではあるが。

私はこれまで、自分が底辺ネットライターであること、書く記事の内容に関して苦しんでいることは、本当に小さくてしょうもない悩みだと思っていた。そのような仕事でも、特別な資格なく家にいながら稼げていることに喜びを感じている方もいるだろうし、実際に400~600文字程度の案件を1件80円程度で外注に出すと、すぐに記事が集まっていた。(外注管理を行なっていたので、知っている)

そうした案件と比較すれば、それよりもいくばくか多くの金銭をもらって、好き(であるはずの)文章を書けていることに、私は喜びを感じなければいけないのだと思っていた。だからこそ、こんなしょうもない悩みは誰に打ち明けてもしょうもないと、日々悶々と思いを巡らせるだけで終わらせる日々を送ってきた。

しかし、ブログを始めて、知った。私と同じように悩んでいらっしゃる方がいたのだと。

writer.hateblo.jp

この方は、五条ダンさんとおっしゃる方で、私が初めて書いた増田の記事にもブックマークコメントを下さった。「いたく共感する」という言葉に、この悩みを抱えているのは私だけではないのだという、名状しがたい安心感と喜びを得た。

上記のブログは、私が感じていた苦しみと本当に同じような苦しみの体験を書き綴ってくださったものだ。私はこのブログを読んで、本当にこの方の感じてきた苦しみが私と似ているものなのだなぁと実感した。心が震えた。

似ていると言っても、五条さんの方が数段苦しんできただろうと記事を読んで感じられた。私がブラック記事案件を受けていた会社は、ASPにとても目をかけられていたので、薬事法に関しては本当に厳しくサイトをチェックされていた。化粧品ですら「効果がある」と書いてしまえば「薬事法違反」でサイト修正依頼が飛んでくるほどだった。余程厳しくチェックされていたんだろう。なので、病気関連のサプリメントに関しては「薬事法が面倒なのでやりません」ということで、こうした案件の記事を書いたことは今までない。本当の本気で何に置いても面倒なことが嫌いな人だった。

それを避けられた私ですらこんなにも苦しかったのに、避けて通れなかった五条さんは、とても苦しかったのではないだろうか。稼ぎのあてもなく仕事を辞めたというのは、本当に良心が痛んでいたのだろう。その後、とても大変な生活を送られたと綴られている。良心のために仕事を辞めることは、見る人から見れば愚かなのかもしれない。だけれど、私にはそんな五条さんの決意と良心と文章への愛情が、美しくさえ感じられた。

文章を書くことが好きであるはずの人間が、文章を書くことで苦しみを覚えていく。それでも文章を書くことがやめられず、どこかに光を探し始める。私はつい先日ようやっと光を探し始めることができたけれども、五条さんはとうの昔に光を探しはじめ、今ではすでに文章を書く道で光をつかんでいるようだ。逞しい方だと思った。

自分と同じような悩みを持っている方と出会えたことで喜びを感じることを、人によっては笑うだろう。傷のなめあいだと揶揄されるかもしれない。だけれど、簡単には声に出せないしょうもない悩みであるからこそ、私はこうして同じ悩みを持つ方と心を擦り合わせることができたことに、とても喜びを得た。安心した。

私はいつも不安になる。自分の考えること、していること、全てが人と違うのではないかと。そうして人と違うことをしていることが、嘲笑の対象になるのではないかと。だからこそ、普通の人に見えるように人一倍気を遣っている。

こうした振る舞いをしているのは、きっと私だけではないのではないだろうか。恐らく、もっと多くの方々が、しょうもない悩みを抱え、それを表に出すことを躊躇し、不安に晒されつつ生きているのではないだろうか。

しょうもない悩みは、毎日小さく人の心を傷付け、いつの間にか大きな穴を空けてそこに心を引きずり込む。そこで死んでしまう人もいる。小さい悩みだから、しょうもないことだから、わかってもらえないことだから、と、目をつぶってしまうことが、人を壊してしまう。そんなのはわがままだと、自己顕示欲だと言われようと、早くどのような形でもいいからそうした物を吐き出してしまった方が、心健やかに生きていけるのではないだろうか。

私がここにこうしてあらゆるものを吐き出して、そこに安心と喜びを見つけた時、それらは頭がくらくらとするほどのスピードで私の心の穴を埋めてくれた。自分が異端ではないという安心のなんと心地良いことか。私はこうした安堵感に包まれるだけでも、本当にブログを始めてよかったと思っている。

(中学生の頃は、自分が異端であることを願ったこともあったが、年齢を重ねると異端であることは恐ろしく感じられるものになった。不思議なものである)

ブログを始めて、いくつかライティングの仕事に関しても声をかけていただくことができた。私の文章を見てくださった方が、私に仕事を依頼してくださるということの、なんと嬉しいことか。最初は信じられなくて、何度も画面を見返して、何度も布団を叩いて、その興奮を治めた。そして冷静になった。私はまだ結果を出していない。ようやくスタートラインに立てただけだ。だけど、立てたということが本当に嬉しい。ありがたい。私一人では成し得なかったことだ。

スタートラインに立てた自分に対しての、ライターネームを考えた。最初は「底」と「沼」を入れたいと考えていたが、やはり沼はいらないのではないかという考えに辿り着いた。なんとなく、面白くなってしまうからだ。

以前にも書いたが、私が「沼」という言葉を思い浮かべる時、頭の中で「沼・・・!」という逆境無頼カイジのナレーションが鳴り響くのだ。なので、沼はやめることにした。

反して、「底辺さん」と呼ばれることに、面白さも見出せてきた。なので、これを残そうと考えた。

そうしたことから、「底辺」を「そこあたり」と読ませて、「底辺 あかり」というのはどうだろうかと考えている。

「あかり」というのは「明」から来たもので、「明るい光」や、初めて増田を書いたMay(五月)にかけたものだ。が、漢字にするとどうしても「あかり」よりも先に「あきら」が出てきてしまうので、平仮名表記にしようと思った。

そして、この名前が思い浮かんだ時、そういえば私には憧れている人がいるのだと思い出した。その人の名前が「あかり」だった。私も彼女のようになりたいという気持ちを込めて、「あかり」にしよう、と、考えてはみたが、私のような者が彼女の名前を使ってもいいものなのかととても悩んでいる。

ちなみに私が憧れている「あかり」は実在の人物ではない。しかし、「あっかりーん」でもない。別の「あかり」だ。

この名前にするかどうかは、週が明けるまで悩んでみようと思っている。