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底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

料理とサプリメントでは癌は治らない(多分)

思い出 捨てられない物

▼追記

「癌 サプリ」などの検索でこちらの記事をご覧になられている方へ。

サプリメントで癌は多分治りません。

「癌を治すサプリメント」として販売されているものは、確実に商品販売ページに「個人差があります」などの記載があります。

効かなくてもクレームは受け付けませんよ、ということです。

私の父が癌になった時も、あらゆるサプリメントや食事療法を試しました。が、何の意味もありませんでした。

この記事は元々そうした闘病の経験を思い出して日記に書いた物です。

なので、個人の判断でサプリメントにお金をかけるのはやめておいた方がいいと、私は考えております。

しかし、こちらの記事をアップしたことで、分子整合医学という「栄養治療」を用いて癌が回復した例はあるということを読者様からお話しいただきました。

www.teihen-writer.net

こちらの記事にて、読者様からいただきました栄養治療による癌治療の体験談をまとめました。

日本では新しい治療法や薬が認められるまでに時間が掛かります。そのため、栄養治療は保険適用外の治療になります。

決して安くはありません。ただ、やみくもにサプリメントや本を買い漁る前に栄養治療医院で診断を受けた方がいいのではと考え、記事にまとめました。

医院によっては錠剤サプリメントとの併用でなるべく治療費を抑えられるように工夫してくれるところもあるようです。

私自身の体験談ではないため、全ての質問にお答えすることはできませんが、何かありましたらツイッターからご質問などいただければと思います。

参考になりましたら幸いです。


 

~~~以下、元の記事です~~~

先日、このようなブログを見つけた。 

masaruoba.hatenablog.com

「こういう本はまだまだ出版され続けているのだなぁ」と、そして「こういう人が書いているのだなぁ」と、思った。

私の父は、胃癌で死んだ。3年前ぐらいの話だ。

癌が発覚した時、私はもうすでに結婚をして家を出ていた。実家には、いつも偉そうで短気な父と、父に言いなりで頼りない母と、服と化粧の話しかしない姉がいた。一度は崩壊しかけた家庭だが、なんだかんだとペットが仲を取り持ってくれて、完全崩壊は免れてそれなりに平和に過ごしていた。ペットはすごい。

その時、姉はこのような「食べ物で癌を治す」系の本を大量に買ってきた。

その本には、「癌の原因は塩。とにかく塩分を断った食事をすれば癌が治る」というようなことが書かれていた。

そこに書かれていた塩分ゼロの食事と、癌に効くらしい野菜ジュースが父の主な食事内容になっていた。

父は言った。

「もう野菜ジュースは飲みたくない…おなかがたぷたぷになって気分が悪い…」

姉は怒る。

「治すためには仕方ないの!我慢して飲んで!」

ジョッキになみなみと注がれた野菜ジュースを今でも覚えている。それを見つめる父の顔も。

そんな食事を続けて数週間、入院していた病院の治療方針に納得が行かず、セカンドオピニオンを受けてから転院した。

その転院先の医者に言われた。

「血液の塩分濃度を示す数値が異様に低いのですが、なぜですか?」

姉はその場にいなかったので、私が癌の料理本のことを医者に伝えると、呆れた顔をされた。

「摂り過ぎも当然ダメですが、塩分だって体に必要なんです。普通の食事をしてください」

父はほっとした顔をした。

「普通の食べ物が食べられる…」

後に姉にこのことを伝えると「せっかく本を買ってきたのに!」と怒っていたが、止めた。その文句には意味がない。どれだけ善の心から生まれた行いであっても、結果が悪となるのであれば、その行動はやめるべきだ。

その日から、病院の指導のもと、栄養バランスのとれた食事をするようになった。刺身などのNG食品もあったが、大概の食品はOKだった。

とは言っても、胃が炎症しているためあまり食べられない。流動食や病院から出してもらった癌患者用の栄養ドリンク剤がメインだった。

父の命が尽きるその日まで、姉は本やらネットやらの情報に翻弄されまくった。

「これなら行けるはず!」と言って、新たな「癌のための料理本」を何冊も買ってきた。(ただし、料理を作るのは母である。姉は料理ができない)

更に「癌が治る」らしいサプリメントなどをたくさん購入した。これも姉は調べて注文するだけで、支払いは両親だった。

「治療費だけでお金が大変だから、もうやめてほしい」と母がぼやいていた。「こんなごつごつしたもんばっかり大量に飲めるか」と言うのが父の弁だった。

しかし、姉は姉なりの正義を持ってやっていることだったから、なかなかやめてはくれなかった。

もちろん、サプリメントで癌は治らない。姉はアフィリエイトのための嘘記事を鵜呑みにしてしまった。

私はこの時、すでにネットライターという仕事自体は始めていたけれど、ブラック記事はまだ書いたことがなかった。この頃は、化粧品の話ばかりを書いていた。

けれど、私が「癌に関するサプリメントの記事を信じないようにしよう」と思えたのは、酵素のおかげだ。

姉に言われてサプリメント等を検索してみたところ、「酵素サプリメントが癌に効く」というサイトと、「酵素は癌を進行させるから飲まない方がいい」というサイトが、並んで表示されていた。

意味がわからなかったので医者に直接聞くと「サプリメントだから、効果があるともないとも言えないけれど、効果が立証されている物は薬だけです」と、はっきり言われた。

(この経験のおかげで、私は病気に関する記事は書きたくないというポリシーを持つことができた。ある意味で、この時、私は救われていたのかもしれない)

医者にこう言われたと家族に伝えたが、正義に興奮している姉、看病に疲弊しきっている母、死んでたまるかと苦悩する父。誰も冷静に判断できる人はいなかった。

家族は、闘病が終わるまでの一年間、見事に医療批判本とネットの情報に翻弄されていた。

私は離れて生活している分、幾分か冷静になれた。なので、私だけは冷静でいようと思って、そうした類の情報は見ないようにしていた。医者の話だけを聞くようにしていた。その上で、できる限りの看病をした。

結局、父は余命宣告されてから一年、生きた。最後に口にしたのはアイスだった。三ヶ月だと言われていた余命が一年に伸びたのだから上等ではないだろうか。

私は、医療本ではなく、医者に従って良かったと思う。

姉が「本の通りにしていたらもしかしたら生きていたかもしれない!」というけれど、癌は進行し過ぎて胃に穴が空いて下の臓器と癒着している。血液がどんどん流れていくから免疫力がどうとか言うレベルの話ではない。

そんなところに、あれを抜いたりこれを入れたりした料理を多少入れたところで、病気は回復しないだろう。

「ああすれば良かった」という言葉は、人の死にいつでも付いて回る言葉だけれど、そうしたからと言って助かったという確証はない。

私はむしろ、私だけでも情報に翻弄されずに父を看取れたことは、良いことだったと思っている。

転院前の病院であれば、もしかしたら後悔が残っていたかもしれない。

父の癌は発覚時点で末期も末期。胃に空いた穴からどんどん血が流れていく。輸血しなければ死ぬけれど、輸血だけでは治らない。血が足りないので手術もできない。抗がん剤治療しか打つ手がなかった。

早く抗がん剤治療を始めなければ、癌で死ぬ。

だけど、抗がん剤を打ったらその副作用で死ぬかもしれない。

後者の事情を優先して、なかなか抗がん剤治療が始まらなかった。何もしないまま、入院して一週間経った。余命三ヶ月と言われてからの一週間は、ものすごく重たい。

私はとうとう、医者を問い詰めた。「いつになれば治療を始めてくれるんですか」と。

はっきりとは言われなかったけれど、医者は、「癌で死ねば父のせいだが、抗がん剤で死ねば病院のせいになる。それを避けたい」ようだった。

仕方ないことなのかもしれないけれど、そうした医療方針の病院に父を置いておくことは、私はできなかった。

理解できる医療方針を持った病院を探し、話を聞いて納得し、家族を説得し、転院して。転院した先の医者は、すぐに治療を開始してくれた。

「今、抗がん剤を打ったら副作用で死ぬかもしれないと前の病院で言われたのですが」

「抗がん剤打たなかったら癌で死にますから」

同じ病院でも、方針でこんなにも違うのかと驚いた。どちらも大病院だった。

父が息絶えた後、葬儀やあれこれの手続きは私がした。母は父の亡骸から離れなかったし、姉には何も頼めることがないので母と一緒にいてもらった。

葬儀屋に呼ばれて父の病室から移動しようとエレベーターを待っている時、看護師長に声をかけられた。

「あなたが一番頑張っていたわね」

そう言われた時、久しぶりに悲しみや苦しみ以外で泣いた。どれだけ頑張っても一番辛いのは両親だと思っていたから、私はこのことに関して誰にも何も認められなくてもいいと思っていた。そうして期待しないようにしていた分、期待以上の言葉をもらって、私はその場で泣き崩れた。

 

そんな私を一年間支えていた本はこれだ。

ねこだらけ (モーニング KC)

ねこだらけ (モーニング KC)

 

転院前の病院の談話室に置いてある雑誌で、私は「ねこだらけ」と出会った。

パニックになる母、わがままな父、バッチリメイクに毛皮のジャケットで末期癌患者の病室に登場する姉、始まらない抗がん剤治療、転院するためのあれこれ。何もかもに疲弊していた。

もう何も考えたくなくて、「どうせ読む物ないけど」と思いながら、目の前にあった雑誌を開いた。そのページに「ねこだらけ」があった。

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唐突に目に飛び込んできた「ねこだらけ」に、私は声を出して笑った。

文字を読まずとも絵だけで突進してくるようなシュールさと、珍妙な猫に、私の心は一瞬にしてほだされてしまった。

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もし、文字を読まなければいけない漫画だったら、こうはいかなかっただろう。「ねこだらけ」は全てを絵で表現していた。読まなくていい、見るだけで良かった。この気楽さが、私に突き刺さった。

談話室にある「モーニング」を掻き集めて、「ねこだらけ」を読み漁った。夫も付いてきてくれていたので、夫にも見せた。夫も笑った。「今笑うのは不謹慎かな」と言われた。最初に笑い出したのは私だったので、一番不謹慎なのは私だ。

けれど、こうしたほんの少しの不謹慎さが私の心を救い、看病を最後まで成し遂げることができた。癌患者の家族が読むべき本は、医療否定本ではなく、安らぎの本だと私は思う。

癌は料理やサプリメントでは治らない。そもそも、薬でだってそう簡単には治らない。

大事なのは、家族全員が納得がいく治療が受けられること、家族が支え続けられる心を持つ工夫をすること、だと思った。

一日二日であれば誰だって看病ぐらいできるだろう。それが一週間、一ヶ月、一年となった時、看病が予想の範疇を超えてきた時、心を健やかに保っていられる人は、少ないのではないだろうか。

一年間、人を支え続けることはとても大変なことだ。何かに縋りたくもなる。

そんな時こそ救いではなく安らぎに縋ろう。私はこの経験を経てそう思うようになった。