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底辺ネットライターが思うこと

私が思うことを主観的にひたすら綴る

底辺ネットライターだった私が思うこと

日記

「底辺ネットライター」が生まれて、一ヶ月経った。

teihen-writer.hatenablog.com

あの、泣いて泣いて泣きながら、キーボードを叩いていた時の気持ちを、今でも覚えている。

悲しくて、虚しくて、悔しくて、だけれどどことなく爽快で、体の芯を風が通り抜けていくようだった。

私には地を這うようなブラックな記事書きの仕事が似合いで、世界中の誰もがそれを認めていて、私を嘲っていて、私も私を底辺だと罵り、そうしながらも自分より下の人間を見つけては底辺の私よりも下だと罵り、そんなことをしている自分を嫌悪して落ち込み鬱になり何もかもが嫌になり泣きじゃくりどうでも良くなり躁になり破滅するように遊びにふけり鬱になり

そういうことを延々と続けていくと思っていた。

私のような「ただの人」でしかない者の叫びなんて、どんな場所を選んで叫ぼうと、誰にも届かないし届いたところで汲み取られない。そう思っていた。思い込んでいた。

そう思い込めば、もう何も頑張らなくて良かった。何も頑張らなくていいということは、楽だった。

けれど、頑張ることで私は私を認めて生きてきた。何かを目指してがむしゃらに走ることが私の価値だと思っていた。だから、頑張らなくなるということは、私にとって、自分自身に価値を認められなくなるということだ。そうして自分の人生に無価値を感じ、虚しく、這っている地がぬるりと柔らかく溶けて、這うことすらできなくなるような、感覚。

どれだけ夫が私のことを慰めてくれようと、それはただの同情のようなものにしか聞こえなかった。夫は自分の持ち物の価値がなくなったと思いたくなくて、褒めることで価値を与えようとしているのだと、心のどこかで思っていた。私は私に価値がないことだけがその時の「絶対」で、それ以外のことに「絶対」はなかった。

私だけかもしれないけれど、「夫」というのはとても不思議な存在だ。私のことを一番知っている一番近しい人のはずなのに、はずだから、私自身の自己評価が低い時、その褒め言葉がとても遠く感じる。夫の存在は私の内側の世界を構成する一つの存在であって、外側の世界のそれとは違う。夫の評価はすでに「自己評価」「私の内側の世界」に近い。だから、夫の言葉には、私の意思が付いて回る。だから、私が認められない物を認めると言われても、簡単には信じられない。

だから、無価値な私にどんな形であれ外側の世界から価値を与えてくれているブラック記事書きの仕事を、私は捨てることができなかった。誰だって、自分のことを無価値だなんて思いたくないだろう。そうして一文字言葉を紡ぎ出す度にもうほとんどない私の価値すらも削っていくような。

もう価値を見い出す物すらなくなった私の全てを粉々にするようにあの記事に何もかもを叩き込んだ。

あれから一ヶ月。

「私」を選んで仕事を依頼してくださる方が何人も現れてくれた。

私が「ブラックな記事を書きたくない」と綴ったことで、「ブラックじゃない記事を書いてください」とおっしゃる方ばかりが私に声をかけてくださった。何の意味もないと思っていた私の叫びが、意味を帯びた。今、こうして声をかけていただけることが嬉しくて仕方がない。

その上、「私」の文章のファンだとおっしゃってくださる方も現れた。混乱して死にそうになった。基本的に、私は褒められ慣れていない。貶されて当然だと思っているから、褒められると本当に中学生のような反応をしてしまう。

一本、シナリオの制作にも携わらせていただいた。

ゲーム用の短編シナリオということで、プロットをいただいて、私が肉付けするという形だった。他人が考えた設定とは言え、久しぶりにシナリオを書くのはとても楽しかった。主人公の女の子が「奈々子」という名前だったのだけれど、私の中にどんどん「奈々子」という女の子が輪郭を持ち、息づいて、一人の人格となって、動き始める。とても不思議な、懐かしい感覚に陥った。

私はまだ、シナリオが書けたのだと、思えた。

外側の世界からあらゆる物を与えていただいて、内側の世界からようやっと自分の価値のような物を見い出して、認めることができるようになった。

こうして、たった一ヶ月で、吹き荒ぶ嵐が全てのゴミ屑をさらっていくかのようにさらりと私を取り巻く世界が洗い流され、あっという間にここから見える風景が変わった。

正直、あっという間に変わり過ぎて、私の心の方が追い付いていない。

「頑張らない癖」が私の足を引っ張ることがよくあって、その時は本当に疲れる。

何かをしようとする時、頭の中や心を無理矢理違う形にぐぐぐと折り曲げるような妙な感覚がして、ぎぎぎと音が鳴り響く。その音が気味悪くて、私は動けなくなりそうになる。

だけれど、私は頑張っていきたい。私の足を引っ張る私なんか粉々に吹き飛ばしてしまいたい。無理して倒れてしまってはいけないのでマイペース、とは思うけれど、マイペースにも程がある。私は今、「ほどほど」を探して生きている。

「底辺ネットライター」が生まれて、一ヶ月。

私はもう底辺ではない。

仕事をくださる方がいて、ファンとおっしゃってくださる方がいて、傍で支えてくれる夫がいて、どうして底辺と言えようか。

こう思えるのは私の力ではなくて、私を取り巻く、取り巻いてくれている、ありとあらゆる人のおかげだ。心から感謝したいと思う。