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底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

復讐心だけで邁進するリスク

話題の話

「就活に失敗したからフリーランスになります」という方のブログが話題になっている。

 

www.iwata09.com

 

私も読んだ。

彼の選択に対する不安や否定、悲観に関しては多くの方がコメントやブログに書かれている。それらに関して、私はほぼ同意だ。彼の将来を案じてしまうし、できることならギリギリまで就活を続けた方がいいのでは、とも思う。このことに関しては、私は言及しない。否定的、悲観的なコメントにも、好きなようにすればいいんじゃないだろうかというコメントに対しても「ほぼ同意」だから。

ただ、私が気になるのはこのくだりだ。

結局内定がゼロで就職活動を終えたぼくとしては今後しばらく

「ぼくを落とした全ての会社を後悔させる」ことが生きていく上でモチベーションになるんです。 

彼はこの選択を、自分を否定した相手に対する復讐心によって決定したということになる。

こんなものをモチベーションにして生きてはいけない。

決しておすすめはしないけれども、その人の人生なのだからフリーランスであろうがフリーターであろうが何にチャレンジしてもいいと思う。それが将来の自分の幸せにつながるのであれば、どんな無謀でも、チャレンジすることは自由だと思う。

ただ、もし、その復讐を成し遂げなかった場合、彼はどうなるだろう?

復讐心で邁進してしまえば、「お金を稼げませんでした」だけでは済まない。ありとあらゆる負の感情が彼を襲うだろう。

他の方々が散々語っているように、ブログ以外で収入を得る見込みがない現在の彼の状況。そして何を武器にしてフリーランスとして生きていくかも決めていない現状。彼が失敗する可能性は大きい。成功する可能性がゼロとは言わないけれど。人の可能性はいつでも無限大だ。

もし、本当に自分がやりたいことがあって、フリーランスになるのであればそれはそれでひとつの選択肢だろう。成功するかもしれない。

成功をすれば、自分に就活を失敗させた奴ら、今回コメントやブログで彼の可能性を否定した人たち、全てに対して復讐することができる。ああ、さぞや気持ちいいだろう。

けれど、復讐を成し遂げられなかった時、どうなるだろう。お金も地位も名誉もない、「ほーら、言わんこっちゃない」という人が彼の周りをぐるりと取り囲む状況で。

「あいつらが僕を落としていなければ」と怒りに震えるか。

「僕なんてこんなにも価値がなかったのか」と奈落の底に落ちるか。

そうなった時、心をしっかりと持って生きていくことができるのだろうか。私はそれは心配でたまらない。余計なお世話かもしれないけれど、そんな思いをする人は、世の中にできるだけ少ない方がいい。

 

私もこれまでの人生の中で、復讐心にまみれて生きていた時期がある。これまでの私のブログを読んでくださっている方であればなんとなく察しがつくだろう。ハラスメント裁判をしていた時期だ。

「私は被害者なのに、私を否定して踏みにじるなんて絶対に許せない」

その気持ちだけで生きていた。無謀だと言われた会社相手の裁判にも必死になって取り組んだ。顔見知り程度の知り合いは私から距離を取るようになり、友人は会う度に私を心配し、母からは「そんなこともう辞めて普通に生きて」と泣きつかれた。

それでも私は復讐心に取り憑かれていた。

「絶対に後悔させてやる」

その気持ちだけを原動力にして、必死になって前に進んだ。前に進んでいるつもりになっていた。

私は勝訴した。相手を後悔させることに成功した。

その時、私は嬉しかったか?

もちろん、嬉しかった。心願成就、誰もが無理だと言うことを成し遂げてやった。私は私の思い通りの未来をつかんだ。私の主張は間違っていなかった。私を否定していた奴、過小評価していた奴、全てを否定してやった。私は法の下において正義だ!ざまあみろ!

その気持ちが続いたのは、ほんの数日だった。

慰謝料が振り込まれた時には、とっくにそんな充実感が過ぎ去っていた。慰謝料が入って膨れ上がった銀行口座の残高を見て、脳みその中に一つ残っていた鉛の玉がすとんと胸の中央に落ちて、消えていくのを感じた。

恐らく、その鉛の玉は復讐心だ。復讐心が私の中で鉛のように重苦しく固まって、体の中を、脳の中を、ごろごろごろごろと転がり回っていた。その音はとてもうるさかったし、重たかったし、私は毎日のた打ち回った。復讐さえ成し遂げれば、全てが消え去って私は最高の幸せを手にすると信じていた。苦悩の渦中で。

勝訴した瞬間、鉛の玉はすとんすとんすとんと落ちて消えた。それはそれはとても気持ちが良かった。勝手にぼとぼとと落ちていって、体が浮き上がるんじゃないかと思うほど。

そうして私の中は空っぽになった。目標を失い、どこへ歩いていけばいいのかわからなくなった。それは結婚した直後のことで、夫にしがみついた。夫は私を抱き締めてくれた。そうして私は自分の心を充足させた。

その後しばらく、私は専業主婦として家事以外何もしない日々を送る。ベランダを開けると燃え尽きた灰の幻覚が見えた。日の光を受けたそれはとてもきれいで、私は一人で泣いた。夫にすら泣いている姿を見せたくなかった。心願を成就させたはずなのに悲しいだなんて、思いたくなかった。

私の裁判に全く意味がなかったとは思わない。私は「前例がない。恐らく敗訴する」と言われる裁判で勝訴した。これは後々、私と同じような目に遭った人が現れた時、とても役に立つだろう。「前例」として。

それだけでいいと思っていたはずだった。いつも野心に燃えていた私が目指す物を失うなんてあり得ないと信じていた。裁判が終われば、新しい人生を明るく歩んでいけると。

私はあっさりと目標を失った。前にも少し書いたけれど、疑心に駆られた私の心は仕事の邪魔をして、あらゆることがうまくできなくなった。絶対になるはずないと思っていた専業主婦に落ち着いていた。それで幸せなんだ、これが幸せなんだと言い聞かせていた。

この後、母がお金を稼がない私にお金を稼がせようと肉体労働の派遣バイトに引っ張り出すようになり、それから逃げようとした私が偶然求人誌で底辺ネットライターの仕事を見つける。

そうして様々な問題を経ながら、今に至る。

色んなことを思った。考えた。その中で私が導き出した一つの答えは「できるだけ人を憎むことだけはやめよう」ということだった。

何もしなくてもただ生きているだけで、必ず人は人を恨む。全てが私のために回っているわけではないから。私以外の誰かのために世界が回る時、私が痛手を受けて人を憎むことがある。憎みたくなくても。

憎悪というのは恐ろしい。復讐心というものは人の心に巣食う。何も救ってはくれない。すくわれるのは足元だけだ。復讐に躍起になっている人間の足元なんて、簡単にすくわれる。

だから、できるだけ人を憎まないように。どれだけ理不尽で納得のいかない目に遭っても、その事だけを憎んで人を憎まない。罪を憎んで人を憎まず。罪だけを憎むようにすれば、その罪が潰えた時に復讐は終わる。人を憎んでしまえば、その人が笑っている限り復讐は終わらない。幸せになれない。これはいわば自分で自分にかける呪いだ。

就活に失敗したという事実だけを憎んで、会社を憎む復讐心はここに捨てていってはくれないだろうか。復讐心を捨てるという苦労と苦悩は、きっといつか役に立つから。

 

私の知り合いで、50社面接を受けて全部落ちた人がいる。その人は言った。

「自分には才能があるのに何で落ちるのかわからない」

確かに才能を持っていると周りの誰もが認めるその人は、それでも自分に原因を求めた。その時会社員だった私は、彼のいけないところを一つ一つ丁寧に指摘した。彼は素直にそれを聞いて、次の面接で受かった。希望していた業界の会社に。

もし本当に「素直」なのであれば、試しに落ちた原因や憎悪の心を自分に向けて、あらゆる人のアドバイスを受け入れてみてはどうだろうか。そうすれば、残りの大学生活の中で、何かが変わるんじゃないだろうか。

 

もしかすると、彼の復讐心は微々たるものでしかなくて、フリーランスとして失敗した時にでも「なーんだ、じゃあ辞めた」ぐらいの気持ちで次のステップに進めるのかもしれない。

ただ、ブログにはっきりと復讐心をモチベーションにしていることを書いているということは、彼の中でそれは今大きく膨れ上がっているんだと思える。

面接しに来た人を落とした奴らは、落とした人の顔すら覚えていない。そんな奴らへ復讐の時間を捧げるのであれば、もっと別のことに時間を捧げて明るいだろう未来へ邁進した方がいいと、私は思う。

どんな道を選んでも絶対に不幸にならない道なんてない。何が起こるのかわからないのが人生だから。ただ、自らが幸せになれない呪いから逃れる工夫は、人生のうちでとても大事だと私は思うのです。