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底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

フロッピーディスクが読み込めない

日記 思い出

私は書院ワープロを捨てずに大事に持っている。

teihen-writer.hatenablog.com

それと共に、書院ワープロ、その後に購入したWindows Meで利用していたフロッピーディスクも大事に大事に保管してきた。

今日(もうすでに昨日だけれど)、とあるドラマのCMを見た。

そのドラマのあらすじが、私が昔考えた物と酷似していた。

もちろん、テレビドラマとして公開されるものは私の考えたシナリオよりもきっと抜群に良いのだろう。走り出しが酷似していたって、そこから展開される内容が違えば物語は全く違う物になる。私がそのお話を考えた時とは時代背景も変わっているし、今の時代の方がとても活きる題材だと思うし、私の考えた物語の方がずっとずっと陳腐だ。

しかし、そのドラマは見ていない。昔のシナリオを思い出したことがきっかけで、昔の作品を少し、読んでみようと思い立ってパソコンに噛り付いていた。

いつか忘れたけれど、古いフロッピーディスクを諦め悪そうに大事に持ち続けている私に、夫が「あなたはいつか使うでしょう」と、フロッピーディスクドライブを購入してくれていた。封も開けていなかったそれと、昔のフロッピーディスクを引っ張り出してきて、読み込んでみた。

・・・読み込めなかった。

十数枚あるうち、正常に読み込まれたフロッピーディスクは片手で数えられるほどだった。そして読み込めたフロッピーディスクの内容はどれもこれも小説や物語のデータではないデータばかりだった。母親がパソコン教室に持って行っていたフロッピーディスクのデータ等。私はとてもとてもがっかりした。

フロッピーディスクをフロッピーディスクドライブに入れると、「フォーマットしますか?」と聞かれる。「フォーマット=データを消す」ということはわかっているので「キャンセル」を押す。「読み込めませんでした」で、終了。このフローで進んで、読み込めないフロッピーディスクが大半だ。

プロパティを確認すると、容量が0バイトとなっているので、データを認識していないだろうことがわかる。エラーチェックをかけてみても、「読み込めません」のようなダイアログが出てチェックすらできない。作業中、頭の中ではこの曲がずっと流れていた。

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ああ、もう全て消えてしまったのかと思いながらも手を動かしていると、奇跡が起こった。

しつこく繰り返していることで、読み込めたフロッピーディスクが1枚だけあった。ずらりと作品名がウィンドウに並んで、私の顔はかーっと熱くなった。恥ずかしいのと、興奮と、色んな物が混ざって。読み込めたことを確認しに来た夫を「見ないで!」と言って追い返した。やっぱり、恥ずかしい。

読み込めた物は必死になって保存した。高校生ぐらいに書いていた作品をいくつか読むことができた。あの頃の私は、難解な漢字を使うのがとても好きだったのだなぁと、若かりし物書きが歩むだろうありきたりな足跡に笑えた。

この頃、長編小説という物を書いてみたくて、チャレンジしていた。それの第三章までが出てきた。確か、第五章まで書いた記憶があるのだけれど。どれだけ短くでも第十章ぐらいまでは書いてやろうと必死になって書いていた。剣に取り憑かれた王子様が剣を捨てる旅に出るお話。「物を捨てに行く旅」というとロードオブザリングのように聞こえるかもしれないけれど、私はこの頃、ロードオブザリングを知らなかった。どちらかというと、ドラゴンクエストの呪われた装備品をモチーフとしていた。何の疑問も持たずにこのお話を書いていた頃は、とても楽しかった。

話はフロッピーディスクに戻る。

「フォーマットしますか?」と一度聞かれても、何度か繰り返せば読み込める場合があることを知ってしまった私は、フロッピーディスクを読み込む作業をおよそ3時間ぐらいひたすら繰り返していた。そして、今に至る。クーラーがあまり効いていない部屋で、私は汗だくだ。

そろそろ気力も体力も限界なので今日は諦めようと思う。

けれど、どうしても読み込みたい。私が書いた昔の作品を、もう一度読みたい。どんなことにわくわくしていたのか、どんなことを考えていたのか、もう一度読みたい。

「さつ人事件」(私が生まれて初めてワープロで書いた小説)のデータは恐らくもうこの世に存在しないだろうけれど。確か、Windows Meに乗り換えた時にそのデータが見当たらず、諦めた記憶がある。もう一度読みたいな、さつ人事件。奇怪な展開で終わったような気がする。小学生の頃の私が何を考えていたのか、読めたらとても面白いんだろうなと思う。

 

読み込めたフロッピーディスクのデータの中には、1つ面白いデータがあった。

2002年1月の私からそのテキストデータを読む「今」の私に向けた手紙のデータだ。

私は手紙を書いたことは覚えていたけれど、内容を全く覚えていなくて、「何が書いてあるんだろう」とわくわくしてデータを開いた。

そして、愕然とした。

全く理解できなかった。

全文に渡って抽象的表現を用い、何一つとして明言していないし、固有名詞もほとんど出てこない。とりあえず、病んでいたんだな、ということだけはとても伝わってきた。悲しかったんだな。苦しかったんだな。まるで他人からの手紙を読むようにそれを呼んだ。

もし、他人からこんな抽象的で意味のわからない手紙をもらったら、気味が悪くて距離を置くだろう。そのぐらい難解で理解できない手紙だった。

意味がわからない、何言ってるんだこいつ、と思って読み進めたら、最後に日付と時間と、あとがきのようなテキストがあった。

体験より全てを此処に綴る。すなわち、これはある意味フィクションであり、ある意味ノンフィクションである。それを知るのは現在の私自身であり、これを読む私自身が理解し得るかどうかは謎に包まれている。何故なら、私と言う人間は此処に居て、決して貴方と遭遇する事は叶わない。貴方が私を理解しても、私が貴方を理解する事は、現実的に決して在り得ない。もし、このファイルをもう一度開いた時に、私を理解して貰えたのなら、是非思い出して欲しい。この物語を綴った想いを。意味もなく涙を流した日々を。
そして私は切望しよう。貴方がこの物語を嘲笑している事を。
今というこの時間より全て込めて。

私は私が理解し得ないことを見越してこれを書いていた。正直、度胆を抜かれた。ある意味で「一つの物語」として成り立つのではないだろうかと、少しだけ感動した。嘲笑しているよ。かっこつけてこんな意味のわからない抽象的な文章を書き散らしていた私を。わかりやすく書こう、と思えるだけ、成長できたのだろうか?

昔の私の文章の方が、今の私よりも文学的で、頭が良さそうに思えた。(中二病感はハンパないけれど。中二病というものは、創作をするにあたってかかるべき病なのではないかと今では感じている)私のピークは過ぎて、もう才能は枯れ果ててしまったんだろうか。

他のフロッピーディスクを読み込むことをまだ諦めてはいない。また時間を作って、再チャレンジしてみようと思う。

けれど、それ以上に、今の私も昔の私に負けないぐらいパワーのある小説を綴ることができたら、と思っている。

少し前から、少しずつだけれど、小説を書き始めている。納得できるものができたら、いつか、どこかに公開しようと考えている。いつのことになるだろう。

このブログを書いている途中で、夫は先に寝てしまった。先ほどまで、フロッピーディスクを読み込むことを手伝ってくれていた。私は途中で諦めてブログを書き始めてしまったのに、本当に良い人だ。何でこんな私なんかと結婚したんだろう。周りからすれば、私が夫を選んだことが不思議なようだけれど、私からすれば夫が私を選び続けてくれていることは本当に不思議でならない。ありがたい。私の文章熱を理解してくれる夫には、心から感謝して生きようと思います。