底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

私は私が理解できないことを望んでいたんだ

昔の私からの手紙。 

teihen-writer.hatenablog.com

読み込めたフロッピーディスクのデータの中には、1つ面白いデータがあった。

2002年1月の私からそのテキストデータを読む「今」の私に向けた手紙のデータだ。

私は手紙を書いたことは覚えていたけれど、内容を全く覚えていなくて、「何が書いてあるんだろう」とわくわくしてデータを開いた。

そして、愕然とした。

全く理解できなかった。

全文に渡って抽象的表現を用い、何一つとして明言していないし、固有名詞もほとんど出てこない。とりあえず、病んでいたんだな、ということだけはとても伝わってきた。悲しかったんだな。苦しかったんだな。まるで他人からの手紙を読むようにそれを呼んだ。

もし、他人からこんな抽象的で意味のわからない手紙をもらったら、気味が悪くて距離を置くだろう。そのぐらい難解で理解できない手紙だった。

意味がわからない、何言ってるんだこいつ、と思って読み進めたら、最後に日付と時間と、あとがきのようなテキストがあった。

体験より全てを此処に綴る。すなわち、これはある意味フィクションであり、ある意味ノンフィクションである。それを知るのは現在の私自身であり、これを読む私自身が理解し得るかどうかは謎に包まれている。何故なら、私と言う人間は此処に居て、決して貴方と遭遇する事は叶わない。貴方が私を理解しても、私が貴方を理解する事は、現実的に決して在り得ない。もし、このファイルをもう一度開いた時に、私を理解して貰えたのなら、是非思い出して欲しい。この物語を綴った想いを。意味もなく涙を流した日々を。
そして私は切望しよう。貴方がこの物語を嘲笑している事を。
今というこの時間より全て込めて。

ふとリラックスした時に、この手紙の文面が頭をよぎっていた。

何であんな抽象的なことしか書かなかったのか、読んでいる人がわかってくれた方が面白いんじゃないのか。昔の私は滑稽だったなぁ、と。

お酒を飲みながら、ぼんやりと書かれていた文章を思い出していた。何を指していたんだろう。何を考えていたんだろう。心地良い酔いと一緒に、ぐるぐると文面が頭の中を回るから、それをぼんやりと読んでいた。

そしてふと、わかった。昔の私は今の私が手紙を書いた頃の気持ちが理解できないことを望んでいたんだ。

今の私が昔の私の抽象表現を完全に理解できるということは、まだ昔の私が感じている悲しみの渦中に今の私がいるということだ。

何を言っているのか理解できないということは、今の私が昔の私とは違う社会に身を置いているということだ。

取り巻く社会が変われば、悲しみの渦中から抜け出すことができていれば、その悲しみを理解することができない大人の一員になる。意味もなく日々泣いている私に対して「意味がわからない」という大人の一員に。

悲しみの渦中で、昔の私は永遠に自分がその悲しみの中に居ることを恐れたんだろう。そして、渦中から抜け出た時、自分自身が自分の知っている自分を取り巻く大人の一員になるのか、それとも別の何かになるのか、知りたかったんだろう。知ることは叶わないと知りながら、知りたくて仕方なかったんだろう。

だから、渦中にいなければ理解できないように書いた。今の私が理解できないことを望んで。今の私が違う社会に身を置いていますようにと願って。

腑に落ちて、途端に昔の私と心が通じた。そうだよ、と言われた。頭の片隅に居座った昔の私がそう言った。そんな気がした。書いた内容に関しては全く思い出すことができないし理解もできないけれど、「理解できないことを望んでいた」ことだけは思い出した。

なかなか受信できないメールがやっと受信できた。そんな気持ちになった。それだけの夜。

今の私は昔の私が望んだ場所にいるんだろうか。大人の一員になったことは私が望んでいたことなんだろうか。