底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

SNS断ちをしてからというもの

SNS断ちから1週間と少し、生活は穏やかに変化した。私が感じた生活の変化を綴ろう。

まず第一に、スマホを家の中で持ち歩かなくなった。

これまで家の中でも常に持ち歩いていたスマホを持ち歩かなくなった。ずっとベッドの上にほったらかし、出かける時や音楽を聴きたい時だけ持ち出す。そのため、電話やメールの連絡に気付かないこともしばしば。これは良くないことだと反省した。

SNSをしていると、しょうもないことでもつぶやきたくなる。何かあると写真を撮りたくなる。そういう衝動がなくなった。だからスマホが手放せなかった。スマホ依存から少し抜け出したような日常。

第二に、友人と個人的に連絡を取る回数が増えた。これまでSNSの中で済ませていたようなことを、メールでやり取りするようになる。写真を送り合ったり、現状を嘆いたり。

そのため、仲良くする人の数は減ったものの、親密さが増したような気がする。

SNSを通さずでも連絡したい、と思ってくれることが、嬉しい。イイネボタンレベルの嬉しさではない。ああいう興奮に似た喜びではなく、心が充足するような喜び。これは良いことだと思った。友人の数は変わらないのに、友人の数が増えたような錯覚に陥る。

第三に、やり場のない罪悪感や焦燥感がなくなった。愚痴を垂れ流した後の罪悪感。早く誰か慰めてよという焦燥感。

それらを失ったことで、私の心は非常に穏やかになった。最近は心が荒んだ時、ベランダに来るすずめを見て心を和ませている。

すずめが1匹、エアコンの室外機から出る排水で水浴びをしていた。とても楽しそうにびしょ濡れになって。それを見ていたもう1匹のすずめが真似をし始める。

こんな感じ?こんな感じでやればいいの?と、1匹目のすずめに問いかけるように不器用に排水に体をこすりつける。びたん、びたん、と音が聞こえてきそうなぎこちない水浴び。

すると1匹目のすずめは、ほぅらこうやるんだよ、と言わんばかりに得意げに水の上を転がり回った。同じ水量とは思えないほど、1匹目のすずめは水を空に舞わせた。2匹目のすずめが必死に真似ても水しぶきは上がらなかった。びたん、びたん。水浴びというよりも滑って転けてしまっているだけのような。

気持ち良さそうにびしょ濡れの羽をはためかせるすずめと、不服そうに水をに体を叩きつけるすずめ。まるで会話が成立しているようなその掛け合いは、童話の世界のようだった。

SNSをしていたら、多分必死になって撮影していただろう。私は日差しを浴びながら、ただただぼんやりと2匹の掛け合いを眺めた。穏やかだった。

第四、情報に疎くなった。

常に情報が流れ、常に誰かがいるツイッター。見ているだけでニュースは頭の中にざくざく入り込んできた。それがなくなってしまった。日中、仕事と家事を終えては寝るだけの私は、ほとんどテレビを見ない。世間で何が起こっているのか、細かなことがわからなくなってしまった。できるだけニュース番組を見るようにしようと思う。

驚いたことにあまり寂しくない。そういえば、私はもともと一人遊びが好きな人間だった。本を読んだり、ゲームをしたり、文章や絵を書いたり。いつの間か人と遊ばなければ寂しいと思い込んでしまっていたが、一人は楽しいということを思い出した。

ただ、ふと、みんな元気にしているのかなぁ、と思う。私に声を掛けてくれた人たち、いろんなことを教えてくれた人たち、しょうもないことで笑い合った人たち。みんなが元気なのかなぁと、少しだけSNSを覗きたくなる。

来週辺り、久々に覗いてみようか。けれど、まだ再開はしたくない。もう少しこの穏やかな日常を楽しみたい。

そう思えるぐらいは、SNSがない生活に楽しみを見出している。