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底辺ネットライターが思うこと

私が思うことを主観的にひたすら綴る

この世界は理解されないことばかりだ

思い出 日記

理解されたい。認められたい。

だから話す。書く。描く。伝える。必死に。懸命に。

それでもこの世界は認められないことばかりだ。理解されないことばかりだ。簡単に理解してもらえることなんて、すでに世間で、世界で、認められていることだけだ。

私は子供の頃に夢を抱いた。女の子らしくない夢を。

夢を語れと人は言う。だから私は夢を語る。そうして夢は笑いに変わる。「そんなのできるはずないだろう」

誰が無理だと決めたんだ。何で無理だとわかるんだ。私は剥き出しの反抗心で抗った。

親も、友人も、教師も、ただ馬鹿にする相手を探しているだけのクラスメイトも、牙を剥き出した私を笑った。それでも私はわからなかった。無理だ、駄目だと言われる謂れが。

夢や憧れに意地がこびりついて、余計に夢を目指すことを諦められなかった。馬鹿にされても、わかってもらえなくても、陰口のネタにされても。わかってもらえない理由がわからないのだから、私も同じ穴の狢だと言い聞かせた。

わかってもらいたくて抱いた夢じゃなかった。自身が輝きたくて抱いた夢だった。

暴言、暴力、環境、それらに圧倒されて一度は諦めかけた夢から一縷の光が見えた時、私はそれに飛びついた。恥もプライドも捨てて親に土下座した。寝食を忘れて作品を作った。専門学校の中でも飛び抜けて尖った存在だった私は同じ夢を持っているはずのクラスメイトにも煙たがられた。限界を突破した私の体は人が見てわかるぐらいぼろぼろになっていった。土色の体で、私はペンを握り、キーボードを叩いた。

努力の甲斐あり、私は憧れの業界への門を開いた。狭き門と言われたそれをくぐり抜けた。土俵の上で戦う権利を手に入れた。

人が私を理解し、認めたのは、その時にようやくだった。それどころか、賞賛、羨望、あらゆる言葉が纏わり付いた。ようやく私の夢や理想に現実味が帯びたから、信じざるを得なくなったのだ。

証拠を見せないと、ほとんどの人は理解しない。認めない。夢物語だと笑う。認めさせるには誰に何を言われようとひたすら自分を信じ続けるしかない。

夢を見ることは孤独だ。理想を追いかけるのは悲しい。叶わなければ全ての努力が徒労となり、「そら見たことか」となじられる。

ブログの世界も同じだ。

 

www.maskednishioka.com

私がいつも読んでいるニシオカさんのブログ、このエントリーを読んだ時、私は過去のあらゆることを思い出した。

夢を笑われたこと、諦めなさいと諭されたこと、こっちの方があなたに合っているよと仕事を進められたこと。ニシオカさんが感じたであろう妙な肩身の狭さや話の噛み合わなさ、変人を見る目をこちらに向けられる居心地の悪さが手に取るように伝わってきた。(私の深読み・読み違いだったらごめんなさい)

私ははてなブログを始めて、これまで関わったことのない人たち、縁のなかった人たちと交流するようになった。

何年も底辺ネットライターという仕事に就き、それ以前もネットは割と見ている方だった私ですら、はてなブロガー、及びはてなブログを読む人たちは未知の存在だった。と、はてなブログを始めて初めて知った。

私や私の周りの人たちが到底言わないことを言っているし、知らないことを知っている。コミュニティの場が変わればこんなにも人が変わるのかと驚いた。

例えが悪いかもしれないが、オタクがクラブに放り込まれたら恐らく言葉が通じないだろう。そんな感じなのだと思う。

けれど、オタクが懸命に1つずつ知識を説いたり、オタ芸を披露したりすれば、そこにいる全員とは言わなくても何人かは「これは面白そうだ」と興味を持ってくれるだろう。そこから興味や感心の伝染が始まっていく。

もちろん、興味や関心を示してもらう必要なんて1つもない。自分の夢や理想を叶えるのに他人は必要ない。

ただ、自分の好きな人に、知人に、家族に、自分の気持ちを理解してもらえることはそれだけでとてつもない喜びになる。理解してもらえないことは悲しみになる。

「必要がない」だけで切り捨ててしまうには少し悲しいと、私は思う。

世間に認知されていない夢や理想を掲げるのは苦しい。ただ苦しいだけで終わることもある。友人を失うこともある。それでも輝ける未来と自分を信じて邁進するしか、道はない。そして、なりふり構わず走る自分を見守って傍にいてくれる家族や友人にただひたすらの感謝を贈るしかない。

私は結局、ハラスメントというきっかけで土俵に立つことができなくなってしまった。夢に向かって走ることで失った友人もいれば、土俵を降りることで失った友人もいた。

当時はショックだった。土俵から降りた途端に連絡が取れなくなった友人もいた。私にはその業界にいるという付加価値しか友人にはなかったのかと。

だからこそ、今は切れる縁は切れるべき縁なのだと思えるようになった。残るべき縁は何があっても私の傍に残ってくれる。その人たちを大事にしていけば、新たなる土俵を目指すことだって苦ではない。

理解されないことは辛い。だけど、それが縁の切れ目ということもある。そしてそこは新たなスタート地点になることもある。そしていつか誰の目から見てもわかるぐらいの立派な土俵に立った時、彼らはまた振り向いてくれるだろう。「お前の言うことは間違ってなかったんだな」なんて言って。

例のエントリーからなんとなく、ニシオカさんの悲しみや悔しさが伝わってきて、励ましたかったんだけれど、よくわからない記事になってしまった感が否めない。そもそも私に励まされたいか?と書いている途中で悩み始めた。

けれど、とにかく「頑張ってください」という気持ちを伝えたかったので、このまま更新することにします。