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底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

検査の結果「何もありません」でした

日記

結論から書きますと、検査の結果「何もありません」でした。

ご心配くださった方、本当にありがとうございました。ただの取り越し苦労でした。笑ってください。ありもしない病気の幻に踊らされたこの数日間。私はまさしくピエロでございました。

ただ、今回の検査で不健康、不健康と思っていた自分の体が

「実はそんなに不健康ではない」

ということが判明しました。

精密検査に裏付けされた健康というものにはとても安心感があり、なぜか健康になったような気がします。笑ってください。言葉に踊らされるピエロだと。

私は今日も元気に、明日も元気に、ブログを書いていきます。言葉に踊らされるよりも踊らせる側でいたい。そんな気持ちを胸に。

---検査当日の話。

検査機器の整った大病院に朝から検査へ行き、CTスキャンなどを受けた。

CTスキャンの機械はもっと未来を彷彿とさせる光り方やフォルムをしているだろうと勝手に期待を寄せていて、実物を見て勝手にがっかりした。ものすごく現実的で、現代的で、驚く要素があまりなかった。

唯一、もらった診療明細の中に「64列以上のマルチスライス型の機器」と書いているのを見て、胸をときめかせた。あの現実的で現代的などっしりとしたあの機械に通されたあの時、私はマルチにスライスされていたのか…と。現実の中に紛れ込む圧倒的な非現実の響き。その非現実的な現実の上に立っている。これが胸をときめかさずにいられようか。

検査結果はぴっちりと封がされていて、私が勝手に見られないようになっていた。

「こんなにぴっちり封されたら、逆に見たいし不安になるよね」

と冗談めかしに母に言いながら、それを持って先日お世話になった病院へ。移動中も、何か適当に面白いことを話そうとしていた。母を安心させたかった。

病院に到着。封筒を受付の看護師に渡す。

数分して、すぐに名前を呼ばれる。診察室に入ると。腑に落ちない顔をしている医者がいた。

「何か、あるっぽかったんだけどなぁ、でもここまで調べて何もないってことは、何もないんだろうなぁ…」

もし漫画だったら頭の上に「???」とクエスチョンマークが浮かんできそうな面持ちだった。しばらく考えながら検査結果とにらめっこをした後で、うん、と頷いて、

「問題なし!大丈夫!これで通院は終わりです!」

と、決断したように私に言った。

医者にとって「不安があるのに決断を出す」ということは、勇気のいることなんだろう。けれど、機械の目を通して何も見えない以上、何もすることができない。「健康体」「通院終了」の判断をせざるを得なかったのだろう。

その言葉を聞いて私はと言うと「安心させられる材料ができた」と安心した。医者の不思議そうな顔を見ると心底何もないと確信することはできなかったけれど、周りの人を安心させるだけの材料ができた。それだけで、私は嬉しかった。

これだけ聞くと夫や母思いの良い人のように見えるかもしれないけれど、実のところそうでもない。「真剣に心配される」ということはありがたい反面、私が対処できない私の問題のせいで悲しませ、困らせてしまっているということ。

対処できない問題に振り回されるというのは、実に苦しい。問題が自分にあるとわかっているのに、問題が何であるかもわかっているのに、その問題解決に力が及ばない無力さと言ったら、自分を呪いたくなる。

なので、安心してもらうことは、私にとって元あった私にとって心地良い生活を取り戻すために必要なことだった。

病院で一緒に結果を待っていた母。診察室から出て「何もなかったよ」と言うと、心底安心した顔をして

「ほらね。お母さんもその辺たまに痛むけど、ものすごく元気だもん。そこだけじゃなくてたまに足の指もね…」

と饒舌になった。私もほっとした。

9月の初めにじんましんを発症してから、あっという間にもう下旬。ひたすら病気に振りまわれたこの1ヶ月。ようやく通院生活にピリオドを打つことができた。体力気力にお金とあらゆる物を消耗してきた。苦しかった。

その分、人の優しさに触れて嬉しかったこともたくさんあったので、良い経験だった。

そして「移したら困る」「そもそも痒いから触れ合いたくない」と、人にも動物にもほとんど触れずに過ごした。なので、少し孤独に耐性がついた気がする。

けれど、今日はブログを書き終わったら思いっきりペットをかわいがり倒そうと思っているということは、やはり孤独に耐えきれていないのだろうか。