底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

宇宙

なんとなく久しぶりに開いたはてなブックマークでこんな記事を見かけた。

cild.hatenablog.com

ブログをやめると宣言しながらブログを書き続ける彼と、ブログを休みますと言って全く更新していない私。なんとなく、反省した。

ブログを書くことは決して『義務』ではない。義務になっては面白くないと、思うこと考えること好き勝手に書き散らかしてきた。敷居を跨げば七人の敵あり、というけれど、ブログを始めてからは700人の敵がいる前提で生きている。去年の今頃の自分を思い出すと、本当に強くなったと思う。

実際には強くなったというか、不安を無視できるようになったと言った方がいいのかもしれない。

ほんの少しのきっかけ、例えば親しくない相手からメールをもらうだとか、そんなことですぐに不安が生まれ、足を捕まれ、そこに引きずり込まれることが当たり前だった。逃げ方がわからなかった。

最近は、ああなんだ、無視をすればいいのかということに気付いた。とても当たり前のことで見る人が見れば「今さら何を言っているんだ」と笑うかもしれない。けれど私にとって、この気付きは、日常生活を根本から変える革命のような気付きだった。

2月は全くブログを更新していなかったけれど、書いている文章量は正直ものすごく増えた。自分でも驚くほどに増えた。

1つ前のブログを書いた後ぐらいから、突然、文章仕事の発注が増えた。1月にお断りした仕事は、お断りしておいてよかったと心底思っている。もし引き受けていたら、書いていて苦しい上に、大したお給金ももらえず、また苦しむ羽目になっていたのかもしれない。

不思議と、断った後からは驚きの低単価仕事は来なくなった。本当に不思議だ。「引き寄せの法則」なんて考え方があるけれど、私は無意識に自分が嫌だと思う仕事を引き寄せることをしてしまっていたのかもしれない。そしてあの時、それを断ち切ることができたのかもしれない、なんて思う。この法則に従って生きて、私が死ぬ時に、その法則の真偽が垣間見える。私は所詮、この世界のモルモットでしかない。なんてことも思う。

そんな環境の中で、仕事でもプライベートでも、将来の自分への投資のような、そんな文章を書くようになった。たくさん。

そのおかげか、ここ2か月ほどで、文章に対する愛情や愛着がぐっと深まった。書けば書くほど、人に話せば話すほど、ああ私はやはり文章が、言葉が、文字が好きだと感じた。たった一枚、たった一行、たった一言、たった一文字。それが持つ影響力の大きさが、私は好きだ。まるで宇宙だ。私にとって、宇宙そのものと言ってもいいのかもしれない。私が生きる宇宙はここなのだろうと、ここであってほしいと、心底願う。

こんなスピリチュアルな話を、リアルでも堂々とするようになった。「変に思われないか」と悩まなくなった。変に思われようと私はこういう変な人間なのだから、それでいいと思った。

自由になるとはこういうことなのかもしれない。