底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

わたしのおもう『記事の質』と『そのためのお金』

去年から世間的にも色々ありましたし、個人的に大きな生活の変化を受けましたし、色んな方々と接する機会もありましたし、「ライターとは」ということをよく考えるようになりました。

 

「ライター」という職業はなんだかんだと「自称」だなと感じています。私自身、ライティングの仕事を今でこそしっかりと引き受けてやっていっているものの、最初は「自称」だったし、それを自覚していましたし、そういう世界なんだと思います。

 

ライターと言っても色んなライターがいます。

コンテンツ更新のためにSEOの文章を書くWEBライターだったり、本や新聞の記事を書く紙面ライターだったり、ゴーストライターだったりと、本当にさまざまです。

 

その中で昨年はWEBライターが取沙汰されました。もう問題視ブームは過ぎた頃かと思いますが、「1円ライター」という言葉は燃えましたね。

 

ベテランライターの方と知り合い、1円ライターの話をすると衝撃を受けていました。しかし、「確かに今のライターは1円ライターから抜け出せずに困っている人が多い」と話してくださいました。

 

今の私はほぼほぼ、1円ライターではなくなりました。懇意にしていただいていたクライアント様からのお仕事のみ、現在でも1文字1円でやらせていただいているものもあります。しかしそれも、手持ちの仕事がなくなり次第終了させていただくことでお話が着いている形です。

 

1文字1円でも、それ以下だったことを経験していた私にとってはとてもありがたいお話しでありました。しかもこんな得体の知れない人間にそうしたお話をくださって、感謝してもし尽くせないとはこのことでしょう。

 

しかし、ライターとして独立してここまでやってきて、切に思います。

1文字1円では質を担保できません。いえ、きちんと言うと「担保するのが難しい」ですが。

 

『質』というものを求めた時、1文字を打つためにかかる時間はなかなかのものですから、1文字1円でお引き受けしていると、費やした労力と時間の割に「これだけしかもらえないのか」という結果になってしまうからです。

 

私が大金持ちで「こんなものただの道楽よ」と言える人間であればそれもできますが、そんな状態だったらもっと道楽じみた文章を書きたいです。そして私はそもそも大金持ちでもありませんから、そもそもそんなノリで仕事はできません。

 

もしくは「バイトだから1文字1円でもいいです」という感覚で働いていいのであれば、という感じです。質は度外視で流れ作業。自分の意思を介さずともお金になる。私の言う「バイトだから」はそんな感じです。

 

質を求めた時、記事は文字数換算できないのだというのが、今の私の考えているところです。ライターとクライアントがきちんと話し合って納得のいく落としどころを見つけるのが、双方にとって良い結果をもたらすのだろうと切に感じております。

 

今のライター仕事は、クライアントが一方的に決定した報酬にライターが乗っかる形でが決まる形式が多いでしょう。これが問題なのだと思います。

 

その価格でどこまでやるのかだけでなく、どこからやらないのかも自分の中で線引きしておくと、ライターとして肩の荷がおろせるのかなと思います。

 

「どこからやらない」

これは意外と、多くの人が明確になっていないように思います。そのため、「同じ価格でここまでやってよ」と言われて、「まぁやろうかな」と引き受けてしんどくなってしまい、急病で連絡が取れない羽目になるのです。

 

クライアントの「どこまでやってほしい」という要望だけでなく、ライター側の「どこからはやらない」という要望の明確化が、より良い記事を作っていくのではないでしょうか。

 

以下、余談。

 

 

 

あれ以来、ライターという仕事を続けてきて、恐ろしいほど欲が出てきました。

「もっと面白い文章が書きたい」

「ネットの情報よりもリアルな情報で記事が書きたい」

「人の考えを代弁したい」

「もっとお金という形で社会的に評価されたい」

「もっともっと色んな世界を見たい」

こんなことを考え出すと、とてもじゃありませんが1文字1円でお引き受けしているとパンクしてしまいます。

そんなこんなで、私は1年をかけて徐々に単価アップをしてきました。

今では1文字換算という仕事はほとんどなくなり「文字数に関わらず1万円」が定番となりました。足を使っての取材はなしで、資料等の読み込み(と言っても専門的過ぎるのは今のところありません)のみ、大幅リテイクは1回までといった流れです。

これが今の私にとって「質を担保できる価格」です。

これでも安い方だと思っています。また、この価格で販売しているのは定期的に仕事をいただいているクライアント様のみの設定でして、スポット注文だともう少しいただいております。要相談形式です。

この価格では、1万文字を超える記事を書くことはありません。今お付き合いさせていただいている企業様は本当に良い方ばかりで、そんな無茶な仕事を要求されることはありません。

与えられた情報を基に、どれだけ内容を深堀りし、記事として面白く仕上げ、他の人が書けない記事を書けるかということを売りにしています。

それでご納得いただけているということは、自分がそれに見合った仕事ができているということなのでしょう。そろそろ次の段階に移りたいなんて目論み始めております。私は善人ではなく、慈善事業で文章を書いている訳ではないのです。

 

 

1文字1円以下のアフィリエイトの仕事が、私にライターという活路を与えてくれました。私は今、この世界に立っているそれだけのことはとても楽しくて仕方がありません。知らないというだけのことがあんなにも私を苦しめていたのかと思うと、無知は罪だと感じます。ただ知って、足を踏み入れただけで、色んな人が私に手を差し伸べてくれました。

だから、今でも1円ライターの仕事にはとても感謝しています。あの頃の私と同じように、今でも助けられている人もいるのでしょう。だから全てなくなれとは思いません。

けれど、「質の高い記事」を担保するためのガイドラインとか、そういうものは必要なんだと思います。

そもそも質が高いとは何なのか。人によって大きく定義が異なります。

SEO知識がふんだんにぶち込まれていればいいとか、そうでなくてもコラムとして面白ければいいとか、自分のこだわりを反映してくれていなければ嫌だとか、本当に色んな人がいる。質の高さは十人十色です。

まぁ恐らくは、ランサーズやクラウドワークスなんかで記事を募集している人にとっての「質」は大体同じなんでしょう。SEO対策と物量、これに尽きるでしょう。そう考えると、その辺だけでもルール化したらいいのになんて心の片隅で思ったりしています。

なぜ片隅かって、私にはもう関係のない世界だから。私は善人ではないしお金持ちでもないから、自分の世界しか作れないし守れないんです。もしそっちの世界に戻らなければならない環境になれば、その時は私もライターをやめます。もう自分の好きなことで自分を苦しめたくありません。

話が戻りますが、1文字1円以下のアフィリエイトの仕事が、私にライターという活路を与えてくれました。思い返してみても、あの時がなかったら今はありませんでした。

1日24時間じゃ足りないとか、もっともっと書きたいとか、自分の未熟なところとか、自分のできているところとか、何もわかりませんでしたし見えませんでした。

健康になったおかげもあり、毎日早起きしています。早起きすると、時々ですが、信じられないぐらい筆が進むことがあります。起きた瞬間にペンを取り、今まで書けないと考えあぐねていたことをなかなかのスピードで書けることがあったりします。こうした現象ももしかしたら第六感的なアレなのではないかと思い付き、朝日を浴びながら自嘲したりしているのです。

だらだらともっと書こうかと思いましたが、とりあえず今はネガティブなことを書きたくない気分なので、ポジティブなラインで締めくくりたいと思います。

 

いんたーねっとの世界がもっと良くなってみんな幸せになりますように。