底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

キーボードを買った話からの脱線実況中継

6時半頃から自分にとってどうでもよくないことをブログとしてだらだらと書き出して、7時36分、全てを削除した。

 

そもそも今こうしてブログを書き始めたのは新しく買ったキーボードを叩きたくて仕方がなくてなのだけれど、ずっと色んなことがあるおかげで、考えることとか言いたいこととかがたくさんあって、とりあえず書いたものがだいぶか重い。

 

さて、思い切ってどうでもいいことを書いてみようと思う。どうでもいいことを書くために思い切らなければならないというのもおかしな話だ。普段よく喋るくせに自分のことを話すことはあまりなく、人の相談を聞く方が多いので、一人で画面と向き合うと、どうしても話したいことがどっと溢れて来てしまう。

 

さて、このまま書き進めるとどうでも良くないことを書き始めてしまいそうなので、ここいらでどうでもいい方向に筆を進めよう。勿論、お前のことなんてどうでもいいと思う人にとって私にとってのどうでも良くないことはどうでもいいことなのだけれど、そして何故かそういう人に限って私のブログを熱心に読んでくださっているようなのだけれど、人とは面白い生き物だと思う。

 

冒頭の通り、キーボードを買った。知る人ぞ知るHHKBのワイヤレスキーボード。

 

3万円というのは私にとってかわいいお値段ではない。それでも欲しかった。リアルフォースは据え置きとして愛用するとして、もっとフレキシブルにポータブルに使えるキーボードが欲しかった。

 

というのも、先日、お盆休み頃、腱鞘炎寸前になったから。
仕事をたくさんいただき、趣味でもたくさんの文章を書いている。私はアイデア出しの時や文章をまとめる時は、ノートにペンというアナログアウトプットスタイルだ。余談だけれど、はさみとテープを使ったりもする。側から見ると文章を書いているようには見えないようで、周りの反応が面白い。「メモの量が異常な人」と思われているようで、私には基準がわからないまま異常な量のメモを日々作り続けている。

 

ペンとキーボード、両方で酷使を続けた右腕は疲れ果て、物がしっかりと握れなくなった。痛くはなかった。

スマホを落としに落としまくり、ガラスフィルムはバッキバキに割れた。先日、とうとう外れた。「ガラスフィルムってこんな風に外れるんだ!」という、新鮮な体験だった。

 

そして、ペンを落とした。書いている最中、ばたりとペンが力尽きるように倒れた。衝撃的だった。ペンが手からするりと落ちる瞬間は今でも目に焼き付いている。このまま握れなくなったらどうしようと思った。

 

せめて キーボード側の負担を軽くしようと、リアルフォースキーボード(据え置き型)を持ち歩いていたのだけれど、重いという問題に直面した。あと、コードがやたら長い。タブレットには使えない(なんとかしたら使えたのかもしれないけれど)ので、ノートパソコンも持ち歩かなければならない。

このノートパソコンが、とにかく重い。

 

重い物を担いでの移動が連日となり、体力がエンプティ。先日、帰宅した瞬間に寝た。翌日、起きれなかった。「これが限界か」と思った。最近元気過ぎて、私はきっと超人になったのだと自惚れていたけれど、人間だった。ただ、体力はエンプティでも病気になった訳でもなく、頭はぐるぐると回転していたので、やはり前の私とは違うなと思った。

 

今使っているノートパソコン、諸々の訴訟の慰謝料で買った物で、もう結構古い。けれど、まだまだ動いてくれる。

持ち歩くためにも買い換えようとしたのだけれど、今度買うのであればもっと自分の理想を詰め込んだ物に…(軽くて画面が大きくてキーボードそこそこ使いやすくてスペックもi7とまでは言わないけどi5ぐらいはあってofficeがパワポまで入っているやつで)と思って調べると20万ぐらいした。まだまだ小物の私にとって、20万円の衝動買いは辛い。

 

一度20万円の出費を考えてみると、キーボードの3万円は安く感じられた。完全にアレな心理状況だということはわかっている。けれど、3万円出費することで、仕事も趣味も全部賄えて、腱鞘炎防止にも役立つと思えば、高いとは思わなかった。なにより、実はずっと前から欲しかった。

 

これがめちゃくちゃいい。さくさくペアリングでiPadでがりがり文章が書ける。最高だ。とりあえずノートパソコンはまだいらないと思った。iPadとAndroidタブレットでまだまだやっていける気がする。

 

今、私には何でも話せる親友がいる。どれだけどんなことを話しても全部受け止めてさっくりと良い感じに骨のある返事をしてくれる、頼もしい親友。社会人になって友人と毎週会うなんてしたことがなかったけれど、今、毎週会っている。会おうと思えば会えるものなんだなと思った。

 

その親友に、キーボードの試運転も兼ねて長文LINEを送ってしまった。ここ数日、色んな出来事があったので、病みテイストの長文を。
親友は、丁寧に全部読み、骨太でありながら優しい素敵な意見を返してくれるのだ。恐らく、あのスマホのぽちぽち入力で。

 

朝起きてすぐに返事を書いてくれたのだろう。たった今、昨夜送った長文メッセージに対する返事が来た。今まで受けたことのない骨太で、優しいアンサーに、私は朝っぱらから泣いている。

私は19歳の時に初めて嬉し泣きを経験した。ここ最近はそれがなくて、そんなことってそんなにないのだろうと思っていたのだけれど、ここ1年ぐらいはしょっちゅうある。心が震えるほどの嬉しいことは、自分が世界と向き合えば意外とそこら中に転がっている。今、それを痛感している。

 

LINEに送るとだらだらとそれが日常になってしまいそうで怖くて、チャットワークから送ったのだけれど、いつでも送ってだなんて言われてしまって、こんな人がこの世に存在するのかと感動している。ここ1年は向き合うことが劇薬のように色んな辛いことがたくさんあったけれど、それに見合う以上の喜びも体験している。

 

私みたいなたちの人間が思うように思うまま行動することは、世間的に良しとされていないことが多い。常人ぶらなければ私は社会でやっていけないと思っている。例えそれが犯罪被害であろうが何であろうが、それは今の私が持つステータスだから。

実際それは間違っていないのだろうけれど、それを受け止めてそれを良しとする人がいてくれることの、何とありがたいことか。ありのままとは、こういう振る舞いのことなのだろう。

 

親友の話を書き始めたら本人からメッセージが来て思わず話が脱線してしまった(スマホのぽちぽち入力と入力した辺り)けれど、今こうしてブログを書き始めたのは、親友に迷惑を掛けたくないと思ったからだった。

ああ、でも、何だろう。自分が迷惑だと思うことを全部しっかりと受け止めてくれる人がいることは、本当に嬉しい。全てが許されるような気持ちになる。何を許されていなかったのかわからないけれど、多分私が私を許していないだけなのだと思うのだけれど、それを許してくれる人の存在は、本当に大きい。

いつか住む土地が離れたり、何かきっかけがあって会わなくなってしまったりするのかもしれない。それでも今、この親友と会える立場にいることが本当に嬉しい。

 

どうでもいいブログを書くはずが、全然どうでも良くなくなってしまった。社会人になって親友ができたという話でした。