底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

「男性を紹介してもらう」という人生初イベントを経験した

どんな痛い目に遭わされても、「二度と男性とお付き合いするものか」と、今の私は思わない。

そう思っていた時期もある。「男性」という性質そのものに憎しみと恐れを抱いていた時期が。けれど、ずっとずっとそうした思いを抱えながら生きてきて、「悪いのは男性という性質ではなく、加害者という性質」ということだと、思い知った。優しい男性だっているし、酷いことをする女性だっている。性別じゃない、人間性なんだ。

疑心を手放して人を信じることは、何とも心地が良い。人間性なんて、ひと目見てわかるようなものではないので、痛い目を見ることも当然ある。この人は私利私欲のためになんて酷いことをするんだろう、と思う人も、いる。酒池肉林は決して幸福ではなく最上級の快楽でしかないと思うのだけれど、未だにそれを最上級の幸福だと信じてやまない人が多くいて、そうした人たちは、人から奪っても幸せになれると思っているのだろう。簡単に奪いに来る。「奪われるお前が悪いのだ」と、こちらを蔑む。

しかしながらここはサバンナではなく日本であり法律に従って国民が生きている(はず)の社会なので、そうした人は公的機関に頼って徹底的に何とかしていってやろう、と思う次第。ここ1年で、その思い、志しを一層深めることとなった。

そうした事に見舞われながらも、「人を信じる」ということの、何と心地好いことか。四六時中疑心を抱き、あちらこちらを睨み付けて生きるよりも、人を信じて痛い目に遭う方が、ずっと良い。信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷付く方が良い。

贈る言葉

贈る言葉

 

本当に心の良い人たちは、信頼を返してくれて、良い関係が築いてくれる。私は人より多く痛い目酷い目に遭っているけれど、人より多く素晴らしいご縁に恵まれているとも思う。だから、これからもずっと、痛い目に遭おうと、このスタンスで生きていくだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というと、少し大袈裟だろうか。

 

いつも通り、話が逸れに逸れてしまったのだけれど、こうしたことを日常的に考えているのだから、何も考えずに筆を進めるとこういう話になってしまうのは私にとって仕方のないことなのだろうと思う。思うままに書き、思うままに公開する。これが私の楽しいこと。

 

さて、タイトルの件に話を戻す。

先日はじめて、「男性を紹介してもらう」というイベントを経験した。

女ひとり自営業、よくよく思えば今年の7月ぐらいまで休みらしい休みを取っていなかった。昨年はすべての日を仕事か勉強か交流会に費やし、「今年中に仕事を確立させる」ことに躍起になっていた。特段金持ちでもない私が仕事のために投資できるものは、時間と体力しかなかった。技術に自信があったって、見てもらえなければただの趣味。見てもらうためのチャンスをつかまなければならない。必死だった。

努力が実り、今、こうしてゆったりとした時間を過ごしながらも生活できるまでになった。書きたいと思える記事を真剣に誠実に書き、人に文章を教える生活。

私は人に教えることも好きみたいだ。その人の目から鱗が落ちて瞳がキラキラと輝き出す瞬間を見るのがとても好きだ。そうして書けるようになって、忙しい生活の中で失っていた「自我」を取り戻した人もいた。文章って、すごい、と思う。書けるようになるだけで、失いかけていた自分を取り戻せるのだから。

文章を書き散らかす生活の中で得た、私だけが教えられる文章の書き方。この仕事も、どんどん拡大していけたらいいな、と今は思っている。

 

どんどん、話は逸れていく。全く本題に入らずにして、1457文字を費やした。

そうして多忙な生活を送る中で、異性と出会って恋に落ちることはなかった。

既婚男性と友人関係を続けていく中で、どうしても奥様からの疑いの目は避けられないので、その疑いを晴らすためだけに恋人を作ろうと努力した時期もあった。けれど、気が乗らなかった。そうしたことに時間を費やすよりも、文章を書いたりマーケティングの勉強をしたりしている方が楽しかった。「合コンさしすせそ」で成立してしまう会話を、私は楽しいとは思えなかった。

論じたい、論じたいんだ。面倒な女だと思われようと、「LINEスタンプのみで会話が成立することが若者の問題のように語られているけれど、これは文字の象形文字返りに似た現象ではないか」というようなことを話している方がずっと楽しいんだ。そしてそれに対して「その見解は」と続いていく会話が好きなんだ。私の知らない論理を展開してくれる人にインタビューよろしく質問を投げかけていく形式の会話も好きだ。そういうのがいいんだ。そういう男性との出会いはこれまであったけれど、色っぽい話にはならなかった。私はそういう人間なんだろう。

今年の夏ごろから、勉強会や交流会に行く回数をぐっと減らした。本当に行きたいと思えるところにだけ行くようにして、休みを確保するようにした。

行きたいと思える場所は、どこも、心の良い人たちが集まる心地良い空間。交流会と言ってはいるけれど、友人同士が決まった周期で集まるような感覚の場所。大人になると、忙しいということを理由にして、友人と定期的に会うことは少なくなる。交流会、という名前を付けたら、まるで仕事の一環のような気分で友人たちと会うことができる。そういう空間は、これからも通い続けたいなと思っている。

そうして出会った人たちの中で、とある女性に、「独身なの?」と聞かれた。独身って答えたら語弊があるような気がして気持ち悪くなってしまうので、「バツイチです」と答える。「正直な人ね、「独身」でいいのよ」と笑われること、多々。私はそれでいいんだと思う。

「どんな人がタイプなの?」と聞かれた。

タイプ、と言われると、特にない。私は身長が高いので、男性のプライドを傷つけてしまうことがある。だから、私より身長が高い人でなければ、と思った。

そして、真面目じゃない男性は気が合わない。すべてのルールをいつ何時においても守らなければならない、とは思わないけれど、ルールというものは、団体生活の中で、人を傷付けず権利を守り、健やかに過ごしていくために存在しているものなので、基本的に守らなければならないし、それを私利私欲のためにやすやすと破ってしまう人は苦手だ。だから、軽々しく「独身だから寂しいんでしょう」と腰に手を回してくる既婚男性は、本当に嫌い。けれど、PTSDのせいで、そうした男性を簡単に突き放すことができない。突き放せばどんなに恐ろしい目に遭わされるだろうというフラッシュバックが先に来る。だから、怖い目に遭うことが人より多い。被害は永遠に被害を呼び続ける。本当にやめてほしいです。

と、いうようなことを思いあぐねた結果、「長身で真面目な独身の人」という回答をした。「独身の人って条件、いる?」と聞かれるけれど、言っておかなければならないような気がして、言ってしまう。馬鹿正直なんだろう、私は。そうしないと自分が気持ち悪くて仕方がない。

そんな人なかなかいないだろう、と思った。そしたら「知り合いでひとり、そういう男性がいる」と言われた。

「会ってみる?」と聞かれ、私は相当動揺した。そんな人はいないと思っていたんだ。だから軽々しく口に出してしまったんだ。けれど、言ってしまったからには「結構です」とも言い辛い。「じゃあ、とりあえず……」と弱々しく返事をした。1時間後には、会う日程が決まっていた。

頭の中は軽くパニックだった。先方は私より年上の方ということで、これはもうお見合いのようなものではないかと思ってしまった。紹介してくれた人も言葉の端々に「結婚」を匂わせた。「え? 私お見合いするの?」と、相当に動揺した。

独り暮らしを謳歌し始めた最近。ああ、独りってこんなに清々しく自由なんだ、と、とても楽しんでいる。結婚生活も楽しかったけれど、とにもかくにもしがらみが多かった。血とか地とか、そういうものが苦手だ。結婚をすると、そういうものも視野に入れなくてはならなくなる。そういうものがなければ、私は今独りではなかっただろう。愛だけは、最後のその時まで多分に在ったから。

そして、私は病気だ。最近は発作も頻繁に起こっている。そんなような人間がそのような場に現れて良いものか、と、思った。しかし、これに関しては「大丈夫」とすぐに思い直した。もし、私ではない別の人が、「病気だから」という理由で行動を制限してしまうのを目の当たりにしたら、私はそれを諭すだろう。そんなことが理由で行動が制限されていいはずがない。普通の人として生きる権利を、私たちは持っているはずだと。

だからひとまず、会いに行くことにした。

 

ここまでで、3605文字。まだ本題には入っていない。いくつになっても、初めての経験ということは、視野を広め、考えを深めてくれるものだと思った。まだまだ人生、先は長い。どんどん経験して書き散らしていこう。

時間が足りなくなってしまったので、続きは後日、書く気になったら。