底辺ネットライターが思うこと

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私はレイプされても彼女と同じことを言い続けている

ふと、「はるかぜちゃん」こと春名風花さんのツイートが目に留まった。

 

「レイプにあえば同じことは言えない」と仰いますが、もしぼくがそういう被害にあっても、あの時と同じように怒ってくれる男性はたくさんいると思うし、二度と被害に合わないように守ってくれる男性もいると思います。

— 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018 

私も、そう思います。

私は、被害届を出して事件化したこと以外にも、多くの性犯罪被害を受けてきました。レイプも、一度ではありません。

そこまで及ばない被害は、もう、数え切れません。

それでも私は、性別ではなく人間性だと思えていますし、今でも言い続けられています。

散々な目に遭ってきたけど、素敵な男性と出会って恋をしたいし、そういう幸せも堪能したい。

「男性は警戒すべきもの」と、個人が考えて動く分にはその通りにしたらいいと思うけれど、どうして、警戒しなければ怒られるのか、私には理解できません。同じ人なのに。

「レイプされたのにどうして男性が怖くならないの?」と聞いてくるのは、本当に失礼極まりないと思う。私に対しても、良識を持って生きている男性に対しても。

でも性的嫌がらせをするのが男性なら、その嫌がらせから守ってくれる人たちもまた、男性でした。父やマネージャーや警察の方や近所の方など、みんながぼくを心配し、守ってくれました。私たち女性がそうであるように、悪い男性もいれば良い男性もたくさんいることを、被害にあったぼくは知っています。

— 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018

 

どちらにせよ、「加害者が男性だった」と言うことで、「男性は悪人、女性は善人」という決めつけをすることは、ぼくはまったく意味の無いことだと考えています。もちろんイヤな目にあった後はぼくも男性が怖かったですし、気持ちは分かりますが、人を「個人」で判断することをあきらめないでほしいな。

— 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018

本当に、その通りだからです。

私を傷付けた人の中にも、私を助けてくれた人の中にも男性はいました。

性別じゃない、人間性なんです。「個人」なんです。

警察という組織の中にも、良い人間性の人、よろしくない人間性の人がいて、良い人間性の刑事が私を助けてくれました。

あの時、現場検証に疲れて車中で眠ってしまった私が起きた時、刑事さんが差し出してくれた缶コーヒー。「そんなことで目くじら立てるな」と騒ぎ立てる人たちに囲まれていた時だからこそ、すべてを肯定された気になって涙が出ました。その刑事さんも、男性でした。

またその反面同じ女性でありながら、自衛が足りなかったと責める人もいるでしょう。

— 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018

 同じ女性だからこそ、「芸能界なんかに入ってチヤホヤされているのが悪い」「まともな生活をしている女性なら被害に合わない」と被害者に追い打ちをかける人がいることは、山口さんの自宅に呼ばれた人や、シンガーソングライターさんが刺された事件、先日のハロウィンの痴漢問題でも分かっているはず。

— 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018

私も、女性にこういうことを言われました。

「髪の毛を伸ばしているから悪い」

「スカートをはいているから悪い」

「女っぽいから悪い」

こうしたことを言う人こそ「まともな生活」を送っていないのではないかと思います。

本当にまともな生活を送っている人なら、そんなことは言わない。法に於いて加害と認められたことに対して、被害者に責任を求めるようなことは、しない。それが良識ではないでしょうか。

あと、ショートカットでジャージを着ていても襲われた経験がありますので、これは絶対に違うと言い切れる。

 

 

 

セクハラや性犯罪の話になると、どうして「男VS女」の図式を作りたがる人が多いんだろう。

責めるべきは、性別や属している組織ではなく、さらに言うと「加害者」という人でもなく、「罪」だと思う。

「罪」をしっかりと罰して、更生して、良識ある人となってくれたら一番美しいのに、と思う。理想論だけれど。

 

そもそも、法律を

「これをやったら罰ゲームを受けるルールブック」

として読んでいる人が、多すぎると思う。

 

そうではなくて、法律は

「これをやったら人が傷つくことリスト」

なんだと私は思う。

 

人が傷つくからやっちゃいけない。それの抑止として「刑罰」がある。

「刑罰」があるからやっちゃいけない、じゃないんだ。

 

強姦罪が強制性交罪になったり、法律を改正して多くの被害者を救おうとする動きがある。

#me too 運動が広まって、被害の声が上げやすくなった。

被害者の多くが女性であって、男性を責める声が大きくなったから、「男VS女」の色が深まっているのだろう。

 

被害の声があげやすくなったことはとても良いことだと思う。

けれど、このままただいがみ合うだけで終わるのは、良くないことだと思う。

では次、先を望むにはどうするか。

それを考えなければならない時間が始まっているように思う。

法を読む人の心、人を信じる人の心、人を思う人の心。

どうすれば良くなるのか、争わず、男女が人と人として会話をして、心豊かに過ごしていけるのかを論じ合えるのか。

「私は酷い目に遭ったんだ」と叫ぶだけでは意味がない。

だからどうしたいのか。

加害者を罰してほしいのか。これ以上、被害者が増えないような社会にしたいのか。

それぞれが「ゴール」を見据えていかなければならないのではないだろうか。

 

私は、これ以上被害者が増えない社会にしたい。

では何をするべきか、と考えた時に「公的機関に相談する」というような「然るべき対処」が大事だと思った。

もちろん、公的機関の人間が頼りにならないこともあるけれど、インターネットが普及している時代、こちらも知恵をつけて言い返してやればいいだけだ。

私が裁判をした頃は今ほど情報が潤沢ではなかったけれど、「そんなんばっかり言ってるから自殺者が減らないんじゃないんですか」と言い返しただけで、法に則ってくれた。

結局、警察も検察も「ちょっとキツく言ったら黙るだろう」という前提でいるので、強く言い返せば話を聞いてくれる。

「憤る人」はとかく醜い者として描かれがちだけれど、然るべきタイミングで憤りをあらわにすることは、人として生きていくために絶対に必要なことだと思う。

「然るべき対処」をしようとすると、保身のために、被害者のあらを探して、加害者ではなく被害者を責め立てて「そんな酷いことするべきではない」と言う人たちがいる。

これは、性犯罪に限ったことじゃないと思う。わかりやすく判定できる罪ではない限り、こうした事象はつきまとう。

「わかりやすく判定できる罪」とは、人か物が目で見てわかるほど損傷が被害の結果としてある罪。血が流れているとか、割れているとか。

「わかりやすく判定できない罪」は、目で見てわからない損傷が被害の結果としてある罪。これは、自分が傷ついていることにすらすぐに気付けないこともある。思考にバイアスもかかるし、何が起こったのかわからないこともあるし。しばらくして、あらゆるものが壊れていることに気付いて、いよいよ被害に気付く。

被害に気付いた時が、叫ぶ時だと思う。どんなタイミングであっても。

誰に非難されても、辛いと思った時は誰もが「辛い」と声を上げていいと思う。声を上げるべきだと思う。それが、誰かへの相談なのか、公的機関に頼ることなのか、TPOによって変わるとは思うけれど。

「どうせ警察に言ったって何も変わらない」ではなくて、意思表示をすることが大事だと思う。選挙と同じだ。声が大きければ、何かが動く。

今の社会は、「それぐらいい許してやれよ」が積み重なって、許さない方が悪者みたいに扱われることが当たり前になって、だから本当の悪者が「しめしめ、そうすれば悪いことをしても怒られないんだな」と知恵をつけてきていて、善悪の判断がおかしくなっているのだと思う。

だから、「それぐらいじゃねぇんだよこちとら傷付いてんだよ」ってキレていいと思う。周りの誰に何を言われても、それが法律の示すことであれば。

合法とか脱法とかいう言葉もあるし、法律が絶対にいつ何時でも必ず正しい訳ではないかもしれないけれど、悪意で作られたものではない。

人を守るための善意で作られたもの。だから、それと良識に従って選んでいけば、必ずいつか健やかな場所に辿り着けるのだと思う。

そしてそうした積み重ねが、人の意識を、社会を、世界を、健やかなものに変えていくのだと、私は信じている。

 

こうしたことは、ずっと考えていて。

特に最近はものすごく考えていて。

リアルの世界で、少しずつ始めていることがあって。

そのひとつが、自らが主に性犯罪被害によってPTSDを患っている身だと明かしていくという試み。

「もしバレて、社会から省かれて生きていけなくなったら」と思って隠していたけれど、もし私に生きる場所がないならとっとと死ねばいい。どうせ隠しきれる自信なんてもともとなかったし、生き地獄よりも、そっちの方がずっとまし。

と、思っていたのだけれど、この試みが功を奏して、私を取り巻く世界が変わり始めました。まだ、チャレンジして間もないのだけれど。

性別に関わらず、思ったよりも理解を示してくれる人が多くて、性犯罪問題とか、ジェンダー問題とか、そういうことを話し合ったり。

「被害のせいで被害を呼ぶ体質になっている」ということを理解してもらえる。それだけで、随分、社会に受け入れられた気持ちになった。

そうした人がいると思えたら、理解してくれない人の暴言に涙することも少なくなった。理解してくれない人の暴言に、私よりも怒ってくれる人もいる。

認められること、それだけのことが、とても嬉しい。私はそれだけで幸せな気持ちになれる、ちっぽけな普通の人間なんだと思い知る。

その中で、仕事が動いた。決断してよかったと思えるほどに。

これがどんな結果をもたらすかわからない。スタートが良くても、ゴールがどうなるのか。終わり良ければすべてよし。終わり悪ければ目も当てられぬ。けれど、何もしないより、まし。

これからどうなるかわからないけれど、どうせ何度も死んだ身だ。死ぬ気でやれるところまでやってやろう。死ぬまで生きてやる。腹はくくった。

 

そんなことを始めたタイミングで、はるかぜちゃんのツイートを非難しているツイートを見つけてしまって、「そりゃ曲解にもほどがあるわ」と思い、キーボードを叩きまくりました。

男性とか女性とかジェンダーレスとか、そういう性別がどうこうとかじゃなくて、皆が健やかに生きていける社会になるといいな。一日でも早く。