底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

良い人

www.teihen-writer.net

こういうだらだらとした日常のこと(と言えるのかどうかわからないけれど)をブログに書き始めて、思うのは、「良い人って本当に良い人だな」ということ。

私がブログを始めたきっかけは、たくさんの人に読んでもらって褒めてもらえたからなのだけれど。

二束三文で叩き売りしていた文章に価値を付けていただいての始まりだったのだけれど。

情報性のないどうでもいい記事に感想をもらえることは、すごく嬉しかったりする。

私のブログは「他人にこれを読んでいると知られたくない」と思っている人も割といるようで、「でも感じたことを伝えたい」と思ってくれる人の中に、DMを送ってくれる人もいる。「そこまで感じてくれたことがあるなんて」と、嬉しく思う。

けれど、中には、「私のブログを読んでいる」「ブログ仲間だ」と言って、ブックマークをくれたり、私のブログに言及してくれたりするブロガーさんがいる。私がブログを始めた当初からずっと。

www.maskednishioka.com

正直、ニシオカさんがいなかったらとっくにブログをやめていたと思う。

ここまで率直に私に思いを伝えてくれる人は他にいないから。もしいなかったら、心が折れていたかもしれない。ブログはやめて、消して、リアルの世界だけで生きていっていたかもしれない。所詮私は承認欲求モンスターだから。認められて、生きていたいよ。

実は、ブログには、書けないことの方が多い。私はネットで正体を隠しているし、少しでも現実のことを書いたら特定されるような特殊な人間だから。

本当はもっともっと世間に言いたいことがある。叫びたいことがある。けれど、言えない。今はまだ。

核心を突かずに思っていることを棘だらけでつらつらと並べて、本当にしょうもないブログだと思う。

それなのに、ずっと「ブログ仲間」と呼び続けてくれて、見も知らぬ私のことを心配して見守ってくれて、ニシオカさんこそ「良い男性」「良いおっちゃん」の代表例だな、と思う。

「男性を紹介してもらう」という人生初イベントの感想 - 底辺ネットライターが思うこと

「このイベントは大成功だったと思う」このひと言が聞けて(読めて)、それだけで本当に良かったです。

2018/11/25 10:38

b.hatena.ne.jp

こういうひと言をもらえるだけで、ものすごくうれしくってたまらない思いになる。ああ、私って生きててよかったんだ、と、思う。「さっさと死ね」と言われているような出来事って、生きていて割とあるし。

こういう男性がいるから男性を信じていたいとまだ思えているし、そう思えているから表舞台で働けているし、人が社会で生きる上で必要なことはこういう小さな承認や肯定なんだと思う。

 

本当は、私の身の回りで起こっていること、包み隠さず書けたらいいのにな、と思うけれど、名誉棄損だとか何だとかあるし、そもそも私がこのブログを『私刑の場』にしたくないという思いがある。私がどんな被害を受けても、然るべき刑を受けるべきで、私刑はあるべきではないと思う。

もし「そう」する時は、私が自害を覚悟しても糾弾したいことがある時だと思う。社会のためになるなら死んでもいいかな、と思うことは、割とあるから。どうせ何度も死んだ身なんだし。

 

私は今、腹の中に、世間に叫びたいことをたくさんたくさん蓄えている。

言えるようになったらここに書きたいと思う。離婚した時みたいに、ある程度ほとぼりが冷めてからでないと、自分の中で整理がついてからでないと、片付いてからでないと言えないけど。

 

匿名ブログから始まった私の文章仕事は、今、信じられない勢いで広がっていっている。ただ黒子仕事をこなすだけではなく、あらゆるライティングに関する業務を請け負う立場になっている。

断じて、枕仕事はしていない。裏でそれを望まれたら全部表に引きずり出してやった。私はこれ以上、私の仕事を汚したくないから。互助会とかブラックアフィリとか、そういうのだけであれだけ発狂したのに、枕仕事とかやってられるか、と思う。

 

今やっている大きな仕事がいくつかあって。それらすべては、成果が出れば来年、私の“本当の名前”で世間に公表される。その業界であれば耳に触れるものもあれば、黙っていても耳に入って来るような内容のものも、ある。

「PTSDだと公にして仕事をしたい」という考えのもと、きちんと成果が出れば、ここで本名を明かしてやろうかと画策している。まだ、悩んではいるけれど。

もし、リアルとネットの私を繋ぐことで何か生まれるのだったら、と、真剣に考える。

でも、生まれるんじゃないだろうか。言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中で、私みたいに恥ずかしげもなく自分の内側をさらけ出している人間が結果を出しているとなれば、そういう性質の人間に対する世の目も変わるんじゃないだろうか。

 

今現在での、リアルの私とネットの私、どちらが実体でどちらが虚像なのかはわからない。

全部本当で全部嘘。どちらも本音で、どちらも自分で、どちらも虚飾で。私自身、どれが本心なのかわからない。お酒を飲んで湧きだした言葉を本心だというけれど、それは本能の衝動でしかなくて、本心は理性側にあるかもしれないし。本能=本心、という図式を、私は危うく思う。

そもそも、本心って何なんだろう。よく、怒った人に対して、「ほーら、本性が出た」とか言うけれど、「怒り」が人の本質なんだろうか。私は、そうは思えないけれど。

本性とか本心がどれなのか私にはわからないけれど、もし、それを欠片でも伝えてもらえたら、いろんなものが変わるのにな、と思う。

ほんの少し、承認されたいだけ。多分、ほとんどの人がそうなんじゃないだろうか。もし、そういう惨めな思いを認められたら、いろんなことが変わるんじゃないだろうか。

本当に、ほんの少しでいい。本心を伝えてくれたらと、必死に願っているんだ。情けないけれど。