底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

自立元年

独立してから、とにもかくにも「自立」を目標にしてきた。

安易にそういう目標を立てて、「自立とは」と自問自答して、「自分ひとりで生活すること」と定義づけてみて、「それでは社会にいるうちは永遠に自立できないではないか」という極論に陥り、「ライフラインが他力であることは仕方がないにして」という前提をおいて考え直してみて、結局、「自分の意見を言っても生活が揺るがない状態」を目指していたんだな私は、と、思い至った。

「自立できた」という実感があったとき、同時に孤独も味わった。

私の意見は世間一般からすると尖りに尖ったものでしかないようで、ただそれは、レイプカルチャーと呼ばれるものへの抵抗でしかないのだけれど、それが容認されない時点で私の居場所はそこになかったと気付いたときには満身創痍だった。レイプカルチャーを容認している文化圏で、生まれついて女らしい私は生きていけない。体の凹凸をナイフでそぎ落として、きれいだと褒められる目にナイフを突き立てるしかない、と思った二十代を、昨年、思い出した。

だから「自立できた」と実感できたのは、自分の意見を言っても生活が揺るがないほど、どこの組織とも深い関わりを持たなくなったときだった。

どこともつながりがなくなったという自覚のせいで私の「自立」は急速に進んで、今、孤独を感じなくなった。それは、誰かやどこかと深く関わりをもっていたときよりもずっと連帯感を味わっている。

意見を発信するということは八方美人であることをやめるということで、それはとても思い切りが必要だった。まだわずかに残っているつながりもぶつりぶつりと切れていくようなさびしさがあった。それでも、そう簡単にちぎれるつながりはもともと細く頼りないものだったのだから、そのさびしさは、これまで八方美人を続けてきた自分の責任だと思った。

「すべてをなくしても仕方ないや」と思っていたのに、いくつかのつながりはちぎれずに在るどころか結びつきが強くなって、浅いとか深いとか強いとか弱いとか、そうしたものを観測する必要すらない純然たるつながりになってくれて、私の自立を孤独にしなかった。

 

結局、何が言いたいかと言うと、好き勝手やっていても倫理観とかそういう人として大切なものを忘れなかったらどうにかこうにか生きていけるということだ。

誰かの言いなりになってしんどいしんどい言って生きるか、自分の言いたいこと言ってしんどいしんどい言いながら生きる場所を築いて生きるかの違いでしかなくて、どのみちしんどいんだから、やりたい方を選べばいいんだろうな、と、思う。

私はこれまで、自分の生きる場所を築いて生きることを強いられて生きてきて、若いうちの苦労をタダでいただきましてありがとうございますと笑い飛ばせるぐらいは自分の生きる場所を築けたと思う。

このブログを始めたときは本当に卑屈で、理想も野心もすっかり忘れていて、平和で平凡な世界で穏やかに暮らしていくことを望んでいたけれど、それすらも社会にそういう風に思わされていたんだっけな、と、思い出した。

今年に入ってから、とある人より「好きなように暴れてください」と仰せつかり、今、日本の片隅で周りを驚かせながら大暴れしている最中だ。

平成最後は寝込んで過ごした。しばらくの間、ぶっ通して書いていたので、起き上がれなくなってしまった。

目が覚めたとき、気分は最高だった。こんなに楽しい気分になれるなら、八方に好かれなくてもいいや、と思えた。

周りから見たら、気が狂っているようにしか見えないと思う。けれどこれが「自分」を手に入れた「私」だ。痛い人間だとからかわれてもいい。痛いことを言っている自覚はあるし、ライターの仕事は恥を厭わずに書き述べることだと思っているし。それに、本当に痛い思いをするぐらいなら、馬鹿にされた方がずっとましだ。

私は昔からこういう人間だった。だから出る杭として打たれた。いびられた上に盗作までされて、権力を持たないから何も言えず、とにもかくにも苦しんだ。権力とかそういうものが関係ない自立社会の中で、私は、打つのが面倒になるぐらい杭として出っ張ることのできる場所を手に入れた。

多分、これからどんどん嫌われていくと思う。

けれど、どんどん好かれていくと思う。

そういう社会人として正常な循環の中に身をおいて、生まれて初めて自分が「ひと」だと思える。

私がいう「ひと」は、倫理観に基づいた良識を持ち、それによって「社会」を築いていこうと考えている人間だ。

もし「ひと」として生きていけないなら、もうそんな社会とはいよいよおさらばだ。それぐらい、腹はくくっている。

令和は平成以上に大暴れしていこうかと思う所存ですが、もしよろしければ、これからもよろしくお願いいたします。

ああ、生きてるって楽しいなぁ。