底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

ネットリンチ、ハラスメント、いじめが減らない理由

ネットは人をリンチしない。

人はネットをリンチしない。

ネットリンチというものは、インターネットというツールを使って、人が人をリンチしている。

『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』の一節です。

「ネットリンチ問題」が世間で大きく取り沙汰されていますが、私はもともとこうしたものに対する言及に疑問を覚えていました。

リンチが起こっているのは現実世界の問題であって、インターネットというツールがなくても人は人をリンチしている。それの補助ツールとしてインターネットが活躍しているだけであって。

ただ、そう言ってしまうと、「増え続けるネットリンチをどうすればいいのか?」という議論にふたをしてしまう気がしていて、これまで何も言えませんでした。

しかし、かぼちゃの馬車事件、八島睦さんのお話を通してネットリンチから調べ始めたところ、とんでもないことが書かれているベストセラー書籍を見つけてしまいました。

そして色々な人に勝手にインタビューを行い、かぼちゃの馬車事件の風評で無関係な人まで業務を妨害されているという事実を知ってしまい。

ネットリンチも現実のいじめもハラスメントも、結局同じ原因であると気付きを得ることになりました。

その気付きを得てから、この本の方針を大きく転換しました。

インターネット情報、実際の情報、その食い違いで生まれる問題。最初はそういったネットリンチについてだけを書き述べる予定でした。

しかし、すべては「私刑」もしくは「暴力」だという共通点があり、ツールがどうとかいう問題ではありませんでした。

そして究極言うと、「どういう思想を持つべきか」という問題でもありません。

 この世に存在しているすべての思想を否定して制限したとしても、人を殺す人はいなくならない。「お客さまは神さまだ」という思想がなくなってもクレーマーはいなくならず、インターネットがなくなってもいじめがなくならないのと同じで、どんな思想を否定してどんな思想を肯定したとしても、人の悪意が潰えない限りこの世から悪事はなくならない。

 思想とは人が生きるためのツールのひとつであり、この問題は「どんな思想を正しいものと定義して広めるか」という問題ではなく、「人がモラルを持つにはどうしたらいいか」という問題だ。

これも、『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』の一節です。

結局は、人がどうやってモラルを持つのか、という問題です。

この本を書く中で、たくさんの言葉を定義しました。

そして私はひとつ、「モラル」の意味をこう定義付けました。

 モラルとは、健やかな生活のために食べ物を選ぶ心だ。

 健やかな生活のために食べ物を選ぶ心とは、守りたい何かのために「健やかでいよう」と思い、それが幸福だと思える心だ。守りたい何かが、人でも物でも実在していてしていなくても、娯楽を楽しむ時間でもいい。それを守るために健やかでありたいと願い、食べ物を選ぶことができる心が持てるなら。慈愛に満ちていなくても、偽善だって何だっていい。何を食べたら健康になるかはその人によって違うのだから、他人の選び方を真似なくていい。

よく、アニメやゲームが好きだから、二次元しか愛せないからといって「危険人物」扱いする人がいます。はっきり言って、私はそうした「条件」だけで人を危険人物扱いする人の方がよっぽど危険だと思うのです。

思いやりとか優しさでなくてもいい。自分が守りたいと思うものを守るために、他人が守りたいと思うものを壊さないようにする。たったそれだけのことで、世の中はとっても平和になると思うのです。

この本を書いている途中、痴漢系の論争がツイッターで苛烈化していて、その中でたまたま目にしたやり取りがあって。要約するとこのようなこと。

「僕が痴漢しないのは、逮捕されたらゲームができなくなるから」

「じゃあ、ゲームができるようになったら痴漢するんですか?最低です!」

私はこのやり取りを見て、びっくりしました。

「ゲームをする時間のある健やかな生活」を守るために「犯罪をしない」。すばらしいモラルの持ち主だと思います。一生そのままの心でいてくださることを、心より願います。

それを「こういう条件を付けたら犯罪に手を出すのか」という言い返しは、暴論なんてものではない。

それを言い出したら、私だって私を大切にしてくれている人に手を出されたら犯罪に手を出すと思う。それを犯罪者予備軍だというのであれば、私は犯罪者予備軍ですし、そう呼ばれても構いません。

「こういう条件があるから犯罪に手を出さない」と思える心は、とてもすばらしいと私は思います。このやり取りの人の名前を挙げたくないので、抽象的なことしか言いませんが、この言葉がご本人に届くように願っています。やり取りの中で、ひどく傷ついていたようなので。

 理解できない人は黙っていてくれ。そっちはそっちで勝手にやってくれ。こっちはこっちで勝手にやるから。そちらを従わせるつもりもないし、そちらに従うつもりもない。

 そうした線引きが、それぞれが持つ健やかな生活のために食べ物を選ぶ心を守る。

これも、本の中の一節です。

すべての人が理解し合うなんて無理です。そもそも、理解したくないものを理解する必要なんてないし、それを強要するなんて暴力でしかありません。

「人の持つ大切なものを壊さない」ための線引きをきっちりとして、互いの守りたいものを守り合う。たったそれだけで、世界は平和になると思いませんか?

 今回の出版企画を関谷氏に連絡を取り、巡り合う事になった松田優と言う女性は、まさにこのタイミングで会うべくして会った人だと思ったのです。運命的な出来事の様に感じた。

 この時の直感は、クレームブリュレの原稿が第一稿、二稿、十稿と回を追うごとに確信へと変わります。やはりこの本は、松田優さんでしか書けなかったと

これは、一般社団法人日本知的資産プランナー協会理事長の西元康浩さんが書いてくださったあとがきの一節です。

「松田優にしか書けなかった」と関係者全員に言わしめた理由は、私にはこのブログの削除した記事の中で語ってきたような、「私刑」「暴力」を多く受けてきた人生経験があるからです。

実際、『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』は、かぼちゃの馬車事件と八島睦さんを通して、松田優の半生とその持論を書き述べた本になっております。

削除したブログの多くもこちらで引用しておりまして、DeNAキュレーションメディア問題で周知されたコンテンツビジネス問題、昨今のSEOやインターネットマーケティング問題についても書き述べております。

あとがきにも書きましたが、八島睦さんに意見を聞かずに好き勝手に書いたので、原稿が総没になったらどうしようと思わなかったわけではないぐらいです。

むしろ、彼は大層喜んでくださって、「二冊目も書きましょう」とおっしゃってくださいました。

私と八島睦さんは全く違うのに根本的なものがとても似通っていて、ああだこうだと話すよりも直観でやり取りした方がうまくいくタイプで。偶然ですが、すばらしいご縁をいただいたと思います。

本の中にも書いていますが、私はこの本を書くために心血を注いで書きました。そして、何回も何回も納得がいく内容になるまで書き直し、最後の一週間は本当に人間らしい生活をかなぐり捨てての執筆になりました。

私の師匠は『結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる (青春文庫)』著者の藤由達藏さんという方なのですが、彼は「私が諦めた理想」を掘り起こす天才でして、〆切一週間前に原稿を見てそれを掘り起こしやがって、もとい、掘り起こしてくださって、それを目指しているつもりで置いてきてしまっていた自分が悔しくて情けなくて仕方なくて、一週間で書き直してしまいました。藤由師匠の度肝を抜いてやりました。してやったりです。

出版関係者は「一から書き直す」ことに大層肝を冷やしたそうですが、結果、このようなあとがきを書いていただけることとなり、感無量です。

私がこの本で書き述べていることは、自分の思想を他人に理解されたい人から見れば批判の対象になるでしょう。

そんな本を出版してどうどうと本名を名乗って顔を晒せるのは、私の思想や生き方に理解を示して応援してくださる方がたくさんいるからです。

ネットリンチ、ハラスメント、いじめ。こういう物損も外傷もない犯罪被害が減らないのは、法整備の穴ではなく、法を読む人の心がモラルを失っているからです。

モラルを持って六法全書を読む人が増えれば、すべての犯罪は減るのだと、私はこの本で定義しています。

私がこの本で言いたいことのひとつは、それです。

かぼちゃの馬車の”クレーム”ブリュレ: ホーメスト倒産事件を電子スイーツに仕立てた人たち