底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

さて

本名を明かして顔を晒したからって、「底辺ネットライター」が死んだ訳じゃあない。

私は腑の底に「沼」があって、そこに底辺ネットライターを住まわせていて、だから「ライターの仕事をしながら2か月で本を一冊書く」なんて無茶をやってのけられた訳で。

ツイッターで晒している顔だって、「会う度に雰囲気が違う」と言われるような人間の、一瞬を切り取ったものでしかなくって。

今の私は全く違う顔をしているし、違う格好をしているし、街ですれ違ったって絶対に気付かれない自信がある。私はそういう「つかみどころのない人間」で、だからこそあんな文章こんな文章を書けてしまって、『ドミノ倒れ』を読んでから『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』を読んだ友人が「優さんの文章ってこんなんだった……?」と恐る恐る聞いてくるぐらい文章で遊べてしまって、「文章のことなら何でもご相談ください」と爽やかに営業して回っている裏でこんなおどろおどろしい日記を書くことができるんだ。

「どれが本当のあなたなんですか」という質問は野暮極まりない。全部本当で全部嘘。だから、全部嘘で全部本当。友人に見せる顔と恋人に見せる顔と家族に見せる顔が違うというのと同じで、私は、その時々で顔が違うというだけだ。けれど、私の根っこはすべて私で、今、ようやく「私」のままで社会という地に足をつけて立っている。隠れ蓑も鎧もすべて脱ぎ捨てて、今まで以上に傷付くかもしれない覚悟で。

「作家になる」というひとつの目標を果たして、多くの人に「これから作家としてだけ活動していくんですか」と尋ねられるけれど、そんなつもりは毛頭ない。

ライターの仕事はものすごく楽しい。こういう仕事をしていたからこそ八島氏にも出会えた訳で。独りっきりで妄想をこねくり回すだけの日々なんて発狂してしまいそうだ。私は他人と心を触れ合わせたい。誰にどれだけ傷付けられようともそれをやめたくない、絶対に。

たまたま機会をもらったことで始めたライティングディレクター事業が、思いのほか楽しくて仕方がない。最初は友人を誘って始めて、人を雇うようになって、人を育てたいと思うようになった。

私は書くだけでなく、ライティングを教えることも、営業も交渉もすべてできる。だから、チームに属してくれているライターのために仕事をもらってきて調整して分配し、質を良くするために中間管理職をやって、最終、私の責任で納品するというディレクター業務が成立している。

私のチームが書くSEO記事は人にも検索エンジンにも読み良いと好評で、もううち以外には頼めないとおっしゃってくださるクライアントさまもいらっしゃってくださいます。もちろん、値切りもせずこき使いもせず、「ライターはクライアントの言うこと聞いてりゃいいんだよ」なんて暴言を吐かずに私の意見をきちんと聞いてくださり、真っ当に人として生活できる条件でのご依頼です。

パワハラ仕込みのブラック根性のおかげで、「しんどいし面倒だけどやったら終わること」のほとんどはやってのけられる人間になった。今まで私をフィジカル的にもメンタル的にもぶん殴ってくださったみなさま、若いうちの苦労をタダでくださいましてありがとうございます。良いも悪いも全部呑み込んで血肉にしてやった、これからだって全部噛み砕いて呑み込んでやる。女だからって舐めんなよ。

小説もSEO記事もパンフレットもキャッチコピーも、私はなんだって書くことができる。金なしコネなしでライターとして独立してここまでやってこれたのは、肩書きや実績ではなく能力を評価してくれる仕事人と出会えたからだ。私がここまで自分の能力に自信が持てるのは、そういう仕事人に認められてそれで生活ができているからだ。最高にラッキーで最高にハッピーだ。このまま生きて死ぬことが、これまで私のことをタコ殴りにしてきたしょうもない連中への復讐になると思っている。そのために私は、非暴力不服従を貫く。そのために私は、書き続ける。

現在は大手メディア2つとSEO記事ライティングで契約、その他メディアからも定期的に発注があり、次の出版物の話も進めている。

ライターとして作家として、信頼関係を築けている仕事人がいて、彼らは私が文章で食って生きていけるように配慮してくれる。だから私は安心して書き散らかし、思うままに事業を拡大して、言いたいことを言って笑って生きてってやろうと思う。私と信頼関係を築いてくれる人たちと一緒に。

 

二冊の本を書く中で、私は多くの気付きを得て。その気付きを信念に変えて、ずっとずっと邁進してきて。

私の言葉に救われた、という人が、たくさんいてくれて。だから私は、私の言っていることに自信を持つことができた。

「救われた」と感謝してくれる人に実は私が救われていて、だから、私は私の考えていることをもっと大きな声で叫びたい。

これからはその野望に向かって邁進するためにいろいろ無茶をしていこうと思う。

「本名と顔を晒すなんて、なんて危ないことをするんだ!」と言う人もいるけれど、私はこれに関しては無茶とは思っていない。晒しても晒さなくてもこの世は危険で溢れている。実際、私は顔も名前も出さずに社会生活を営んで、昨年、被害届を出すような目に遭った。その書類送検が先日済んだところだ。

加害者は「まさか被害届を出すなんて、なんて酷いことをするんだ」とのたまったけれど、そりゃあ生命の危機に瀕した上に罵詈雑言を吐かれたら出すでしょう。

被害届を出すのは復讐でも何でもなく、自らの生活と生命を守るためだ。「何をしても怒らなさそう」と勘違いして暴力を振るっておいて、何が「酷い」だ。

お世話になった関係者のために被害届を出すのをためらいながらも、いつか必ず出すと思って証拠を取ってあり、無事に書類送検までこぎつけた。

「何をしても怒らなさそう」だから暴力を振るわれるのだとしたら、「被害を受けたらめちゃくちゃ怒って届を出す人間」だって広まった方がむしろ手を出されなくなるでしょう。だったら余計に正体を晒して生きる価値があるってもんだ。私は私のやりたいようにやるし、悪事を働いてきた奴は法に則って吊るし上げてやる。

作家にならなければ生きていけないと思ったのは去年。どこかの組織に属していたら、被害を訴えたことで私が潰されてしまうことがあって、それが怖くて自分の心を潰してしまって、結局どうにもならなくなることがある。そんなことばかりだ。もうそんなのはたくさんだ。恩ある人に恩を返す機会を失うなんて、もう二度と。

辛いことを辛いというために私は自営業でいなければならなかったし、誰にも頼らずに食っていくには文章で独り立ちするしかなかったし、ライターの仕事だけでは買い叩かれたり主従関係を強要されたりするから、自分の身を守るためには、作家にならなければならなかった。

本気で作家を志しはじめたきっかけは『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』に書いた通りだけれど、けれど、志す道の途中でそう思わされた。

私はどれだけ他の人と同じようにふつうに生きようとしても、誰かの食い物にされてしまう。結婚したってそれは変わらなかった。私を食らう人の種類が変わるだけで。

このまま食われて終わってたまるか。人が食われるのを黙って見ていられるものか。

誰に馬鹿にされたって非難されたって、人を追い詰めて殺すような理屈が正しいだなんてことがあってたまるものか。

生きて生きて生き抜いて、私みたいな人間が生きていける社会をひとつ築き上げてから死んでやる。

それが私にとっての復讐で、それを実現することを応援してくれている人がいるなんて、私は最高にハッピーなアベンジャーではないだろうか。

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