底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

『ドミノ倒れ』のコンセプトとテーマと書き始めたきっかけと

ここ最近毎日ブログを更新しているのは、もちろん本の宣伝のためで。

私は文章で食べて生きたいから、ガンガン宣伝しますよ。

「本」という商品が社会に存在する以上、それを宣伝するなんて当たり前のことだと思うのですが、「能力で生み出したもの=原価ゼロ」「宣伝する=銭ゲバ」という心をお持ちの方からすると、これは卑しいことらしくって。私はそれが卑しいことだとは思わない心の持ち主なので、書いたものをどんどん宣伝します。どちらの心が正しいかなんてどうでもいい、私は私のやりたいようにやる。

現状、他メディアでの宣伝が準備中なので、それまでブログを更新するぐらいしかできずやきもきしています。

一刻も早くひとりでも多くの人に読まれたい、賞賛でも批判でも何でもいい、お門違いな憤りをぶつけられてもいいから私の文章に対する人の声が聞きたい。私はそういうクレイジーな人間で、本名を晒してから以前よりもナチュラルにクレイジーな感じになってきて、「私ってこういう人間なのか」と痛感する日々です。これまでブログに書いて来ている「生まれて初めて『私』のまま社会に立った」というのは抽象的な表現ではなく、本当に「そう」なんです。私は「私」という「社会人」を初めて目の当たりしています。嫌われてもいいと思えるほど、毎日が楽しい。

 

『かぼちゃの馬車の“クレーム”ブリュレ』の話ばかりしていたので、『ドミノ倒れ』の話を少ししようかと思います。 

ドミノ倒れ

ドミノ倒れ

 

『ドミノ倒れ』は、「社会からドロップアウトしてしまった人が立ち上がるための小説」として書き始めました。

もしよろしければ、冒頭ダイジェストをどうぞ。

ついでに、最初の1ページも。

 ある夜、小向理恵は「死にたい」と腑(はら)の底から呟いた。

 同じ頃、永井智則は「死ね」と腑の底から呟いた。

 同じ頃、山下和久は「死ぬ訳ねぇだろ」と腑の底から呟いた。

 同じ頃、青柳秀治は「死んでたまるか」と腑の底から呟いた。

 良識を教えられ法律で守られたこの社会で、扱われて、動かされて、指先ひとつで倒されて。正当化の誘惑に翻弄されて抗う力を失った駒たちは、ただ、嘆くことしかできなかった。

こういうお話しです。

 

『ドミノ倒れ』のあとがきにも書いたのですが、このお話を書き始めたきっかけは藤由達藏先生との出会いです。彼に出会って「小説」を書こうと思い至ってから、それはもう心身を削る思いで書きました。

三十路を過ぎて夫と別居し始めたばかりの女が「小説家になる」と言い出すなんて、周りから見ればそれはまあ何とも恐ろしく滑稽な光景だったでしょう。改めて思い返してみて、サイコホラーのようだと思います。

けれど、本を書くと決めたのは夫と同居をしていたころで。

ちょうど性犯罪被害に関しての記事がバズって、「私が書くことで社会の中の何かを変えられるかもしれない」という無謀な野望を夢想し始めたころ、藤由達藏さんと居酒屋で隣の席になって知り合って。

金がなければコネもない、あるのはやる気と根性だけな私の情熱的なプレゼンに負けた藤由達藏さんが、出世払いで「コーチングを用いた出版サポート」を受講させてくださるとおっしゃってくださり。

企画本であればほぼ確実に出版できるということだったので、「書きたいことを書いて出版して、無謀な野望を叶えたうえで夫と2人で幸せな夫婦生活」を目指そうと決心しました。

理不尽なサラリーマン社会に疲れていた夫はそれをとても喜んでくれて、「出版できて、収入が入るようになったらこんな暮らしをしよう」と、明るい未来を語り合っていました。

けれど、出版サポートが始まる直前、取り返しのつかない大喧嘩になって。

「このままではもう無理だ」と思った私が家を出て。

パニックになった夫とは会話が成立せず、一度だけつながった電話ですら3分そこそこで切れてしまって。

互いに互いの「要望」を呑むことができず、それっきり夫と会うことはなく、一年後に籍を外しました。互いに好き合っていても、気持ちだけではままならないのが夫婦です。どちらが悪いとかではなく、ただただ生活の性質が合わなかったのだと思います。そういうのがなければ無駄にいがみあうことなく、今でも一緒にいたでしょう。最後、「もう会うこともないし、最後にもう一度会いませんか」という誘いに、「泣いてしまうので遠慮します」と返事したあの人は、今どこで何をしているんでしょうね。

話が逸れましたが、そういう経緯で藤由達藏さんの出版サポートを受けることになり、議論を重ねた結果「ビジネス書ではなくて小説を書く」ことが決まり。

「文章で食べていくなんて夢みたいなこと言ってないで、早く働いたら」とやんわり言う母に、「一年だけ猶予をください、収入がゼロになったらその時点で諦めるから」と頼み込んで承諾を得ていた立場の私にとって、ライターか作家か、一年以内にどちらかで食べていけるだけの日銭が稼げなければ何もかもを諦めなければならないという瀬戸際でした。

だったら確実に出版できる方にすれば良かったのに、「あなたは本当にそれを書きたいと思っていますか?」という藤由達藏さんの質問に頷くことができず。

「どうせ今まで自分の思った通りにやってうまくいかなかったんだから、騙されたつもりで言われたこと全部やってやる」と決意をして、小説を書き始めました。

「ビジネス書作家とはいえ作家なんだから、小説の書き方の『正解』を教えてくれるだろう」と思っていたのに、そういう類については教えてもらえず。

今思い返せば当然のことです。小説の書き方に正解なんてないのだから。

「心の拳で殴り合う」という表現がぴったりな一年間の出版サポートを終えて書き上がった『ドミノ倒れ』は、読んだ人の顔色を変えていくような作品に仕上がり。

藤由達藏さんも、書き上がった作品を読んで驚いてくださって。

出版サポートが終わっても「弟子」として可愛がっていただける関係になりました。

「ドロップアウトした人が立ち上がる」というコンセプトの元、ハラスメント問題や性犯罪被害だけでなく、雇用問題、社内政治問題、警察の不手際問題などありとあらゆるテーマを盛り込んだ作品になりました。

新人賞には二度応募して、落選しました。

とある小説家のご家族より「新人賞に受かる“条件”」を教えていただくことがありましたが、「これだけ面白ければどうにかなるかもしれない」と思って応募した後で、落選。

落選のあとで、規定を読み違えてページ数を大幅に超過していることに気付き、「ページ数を間違えたからだ、次だ次!」と応募して二度目の落選。

落選しても自信を持ち続けられたのは、『ドミノ倒れ』を読んだ人に落選を報告したとき、「何が駄目なのかわからない」と全員が口を揃えて言ってくれて。

その中のひとり、現在ビジネスパートナーとしてご一緒させていただいているベテランライターの橋本弥司子さんに「これは文学だから、賞向きじゃない。持ち込みだ!」と言われて。

「落選しました」とIAP出版の関谷社長に報告した瞬間に出版が決まり、人生どこで何がどうなるかわからないということを改めて実感した次第です。

 

出版してから今日まで「出版できたのは実力だ」と書いていますが、文章を書く能力以上に、自分の野望を臆面もなくあちらこちらで言い触らすことができた力の方が大きかったと思っています。

「そんなに言うんなら書いたものを見せてくれ」と言ってくれる経営者は、意外に少なくない。そして言っていることは嘘ではないとわかると、応援してくれる人たちも結構いる。多分、書くだけでなく創る人間の仕事に大事なことは「恥も外聞もかなぐり捨てて自分の作品に自信を持つ」ということなのだと、心底。

最初は恥ずかしかったけれど、言えば言うほどチャンスをもらえたので、途中から恥をかくのが楽しくなりました。

こうして書き述べるブログ記事を見て、「恥ずかしいこと書いてらぁ」と思う人もいると思いますけれど、そういう人がいるのを加味しても書く意味や価値があると思い込めてしまっているので、私はとても幸せなんだと思います。

やりたいことのために努力をして、努力を無駄にしないための努力をして、努力を無駄にしないための努力を無駄にしないための努力して、今があります。よくこんな無茶ができたなあと、改めてしみじみ。

ああ、どんどんまとまりがなくなってきた。ここいらで切り上げます。

 よろしければこちらもご一読ください。

www.teihen-writer.net