底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

ラスボスの気持ち

少し間が空いてしまった。

更新しなかった理由はいろいろあるけれど、何人かから本の感想をもらって満足してしまったというのが一番大きい。もっと売上を伸ばさなければならないのはわかっているけれど、こんなに面白い本なんだから絶対に売れるし、紙の書籍が出てから営業とかそういうのをいろいろ頑張ればいいし、一緒に頑張ってくれている人もいるし。

それよりも今は「感想をもらえる」という感動に浸りたい。

読む前から私を知っている人の言葉が、読んだ後で変わる。それをこの短期間でいくつか目の当たりにした。それだけでなく、私を知らない人が私に興味を示してくれた。作品そのもの、私の執筆姿勢、そういうものに感銘を受けたと。

そして、ちらほら「先生」と呼んでいただけるようになった。

これまで、「先生」と呼ばれることに抵抗があった。けれど今、そう呼ばれる度に、そう呼んでもらえるほどのものが書けたのかと実感できる。

私の小説は面白い。私はこのままの姿勢でいい。日ごとに自信が増して胸を張って読んでくれと言えるようになっていく。今の私しか知らない人は「そういう自信家」と思うようだけれど、このブログをずっと読んでくれている方はそうでないと知っているだろう。自信を持って社会に地に足をつけて立てるということは、私にとって奇跡のようなことだ。

自信を持って生きるということは、とても気分が好い。誰に何を言われても孤立しても立っていられる。そうして立ち続けていれば孤立することは絶対にない。嫌われても、好かれる。発売してからまだ2週間しか経っていないのに、それを痛感している。

私はこれから一生、文章を書いて生きていけるだろう。それを確信するほどの日々がとても目まぐるしくて気持ちよくて、まるでイルミネーションの中を突っ切るジェットコースターに乗っているみたいだ。きっと誰にも理解されない。そんな嘘くさい毎日が、今でもずっと続いている。

幼い頃、イルミネーションが馬鹿馬鹿しくて仕方がなかった。電気を流せば点灯する電気を遠目から見てはしゃぐ理由がわからなかった。空の星が薄れている現状から目を逸らしているようにしか思えなかった。

今はわかる。多幸感のせいだと。

それを感じたとき、視界がきらきらと光り輝く。だから、イルミネーションを見ると幸せだと勘違いできるのだろうと。ある日、ある時、ある瞬間、いつもの景色がきらきらと光り輝いて見えた瞬間があって、「これがイルミネーションか」と思って、それから夜景を見るのが好きになった。見ても見なくても私は幸せだけれど、やっぱり、そういうものに包まれることはとても気持ちが好い。すべての不満と不安が溶けて消えて、ただ存在しているだけでいいように思えて。

ただ存在しているだけでいい。私のことをそう思って大切にしてくれている人はこの世に何人もいてくれる。たとえば私が落ちぶれて、絵に描いたような「食えない作家」になったとして、それでいいと笑ってくれるような。馬鹿にしたり怒ったりしないような、そんな人ら。そういう人らの存在がありがたいと思うけれど、自分で自分がそう思うことを許せなくて、苦しくなるから、そういうものの力を借りて、短い時間でもそう思い込みたいと願ってしまう。

ふと、そういう時間に恵まれたとき、いっそ「ふつうの生活を望んでしまおうか」と思うことがある。今の私であれば、それを享受して淡々とただ生活するだけのこともできるのだろうと。

そう思ってすぐに思い出す。イルミネーションのような幸福とは全然別の、灼けつくような、下手をすれば燃え尽きて死んでしまいそうな世界に立つ恍惚と、自らを「アベンジャー」だと名乗るゆえんを。

それは私だけでなく周りに飛び火して人を傷付けてしまうこともあって、だから留意しなければならないし、それがほんとうに辛くて仕方がないという人からは離れなければならない。それでもいいと思えるほど、私は今、生きていることが楽しくて仕方ない。なんとなく、RPGのラスボスってこういう気持ちなんだろうな、と思う。